「人付き合いの楽しさがわからない」に共感する声多数―「誰にも会わない方が心が安定してる」「面倒臭いのひと言」
この女性の年齢は定かではないが、おそらく大人になってからの人付き合いが楽しくなくなったということだろう。このトピックへのコメントへは、同じように「昔は楽しかったのに」という共感の声が多く寄せられた。
ではなぜ、楽しくなくなったのか。コメントには「学生の頃は学力も同じくらいだから自然と話も合うし、部活では好きな事を一緒にする仲なので気があうけど、社会に出ると色々な人がいて、それを個々に見るのが億劫になるから」というのを筆頭に、
「年をとると、会話が探り合いみたいな。気づかい中心になる気がする」
「大人になるとマウンティング入るから。格差も広がるし、気まずいよね」
などという、つまり「大人の付き合いになったから」という声が多い。もちろん学生時代にもその時代特有のしんどさはあるものの、気が合う友人と純粋に楽しい時間を多く過ごせた。
しかし大人になるとそうはいかない。学校という”村”から一気に社会に放たれ、そこで関わってゆく無数の他人とうまくやっていかなければならないのだ。「コミュ症だから」と引きこもっていては生きてゆけないほど、コミュニケーションは重要になる。そして、そのコミュニケーションに多くの人が疲れているようだ。
「相手に合わせたり、会話を盛り上げようとする気力と体力が衰えてきた」
「誰にも会わない方が心が安定してる。誘われると嬉しい反面、どう断ろうかすぐに考えてしまう」
「面倒臭いのひと言。一人が一番気楽」
中には実際に人と集まって楽しい雰囲気の中でさえ、
「皆でお酒飲んで陽気に笑いながら盛り上がってる時に、ふと『皆心底楽しいのかな?』と冷静に考えてしまうときある」
という人も。また、人付き合いのしんどさに疲れ、ひとりの気楽・快適さを覚えきってしまった人の、
「自分の葬式って誰も来ないんだろうなとか考えちゃう」
という声もあった。ちょっと切ない。
「相手から良く見られたい」と思い過ぎるのも問題かも
人付き合いが楽しくない、逆にしんどいという人の共通項は”気を使い過ぎる””面倒臭がる”で、この2つはリンクしている。気を使い過ぎるから面倒臭くなるのだ。タイプとしては、若干自意識過剰な人、自分に自信がない人に多いように思う。
いつだったか、元AKBの大島優子がいっていた。「相手にどう思われるか、とか以上に自分の(相手への)興味が勝っちゃう」。正確には覚えていないが、そんな内容だった。そしてこれこそ、コミュニケーション上手な彼女ならではのスタイルなのではないかと思う。先に相手から心を開かれると人は安心するのだ。
気を使い過ぎて失言を恐れるあまり、場面場面での正解を探し求めて右往左往する姿はある意味誠実ではない。「相手から良く見られたい」という邪念を一回捨てて、大島優子のように”素”で接することができたら人付き合いは楽しいものになっていくのかもしれない。
コメントの中には
「自分に合った『適度な人付き合いの仕方』を会得すると、人付き合いも苦じゃなくなるどころかなかなか楽しくなるよ」
という声もあった。”会いたい人”が増えると人生は楽しい。最初から完成された楽しさなど人付き合いにはない。受け身にならず、自分から楽しさを見つけていく努力、作っていく努力も必要かも。