「なぜ食べられると思った」疑問を抱いてしまう食べ物「コンニャク。原料は生食できないのに」「銀杏。くさすぎる」
あなたはふと、目の前の食品に対して「誰だよ、最初にこれを食べようと思った奴」と感じたことはないだろうか。僕はカニを眺めているとき、こういうことをよく考えてしまう。
硬い甲羅に覆われて、ワサワサと海底を這い回る巨大な甲殻類。こんなのよく最初に食べようと思い立った人間がいたものだ。
折しも先日、似たようなことを考える人が、はてな匿名ダイアリーに寄稿していた。『よくこんなもの食おうと思ったなって食い物』というエントリーがそれだ。
投稿者は、僕が冒頭でハイボールと相性がいいと抜かしたウニ、そしてトゲトゲの見た目が似ている栗について、「あれの中身が食えるってなんで思った?」と書いている。フグも「食った奴が死んだら普通もう食うのやめない?」と書き込み、他にも海苔、牛乳、筍など、手間がかかったり加工が必要だったりするものについて疑問を投げかけている。
「クジラ。あんな大きいものを倒そうと思った人がすごい」
投稿者は、他にも同じような食べ物がないか聞いていた。いつものように、寄せられたコメントの中から「あ、そういえばそれもあった」と思えるような意見を紹介したい。
「ゴボウ。今でも海外でよく木の根っこ食べるなとか言われてるな」
「ダントツで銀杏じゃない? くさすぎる」
「ナスビだな。どう見ても食っていい色してないだろあれ。めっちゃ旨いけど」
「カメノテ。うまいけど」
「クジラ。あんなでかいものを倒そうと思った人がすごい」
「コンニャクでは。原料のコンニャク芋は生では食べられないのに」
それにしても、「なぜそれを」と思えるようなものでも、先人たちがしっかりと毒見をしてくれたから今は食べられるわけで。もし彼らが目もくれなかったら、銀杏もナスも、未だに誰からも見向きもされなかったかもしれない。
でもまあ、考えてみれば、かつては飢饉に見舞われることも多かったわけだ。一見して食欲をそそられないものでも、なんとかして食べようとするのは必然だったのかもしれない。
今は飽食の時代。流石にもうこれ以上「え? それ食うの?」みたいなサプライズを目の当たりにすることはないかもしれない。が、食糧危機は日本でも、将来的に囁かれるところ。となれば昆虫辺りが、今後私たちの腹を満たす有力候補に躍り出る可能性もあるかも。