埼玉県にある職場にうかがうと、柔和な笑顔で名刺を差し出しされた。「あじと名刺」の名前とロゴが銀の箔押しで、派手すぎないが強いインパクトのある名刺だ。受け取ると文字がぷくぷくと浮き上がっており、思わず何度も名刺を触ってしまった。
「もらったときの手触りが面白いですね」というと、松下さんは「その一言のために名刺はあるんです。個性的な名刺のおかげで話が弾むこともあるんです」と話す。松下さんが今までに作った名刺を見ると、一括りに”名刺”とするにはあまりに個性的なものだった。
黒地に金の箔押しがされたいかにもホストっぽいものから、同じ黒地でもよく見るとさらに濃い黒で花のパターンが描かれたシンプルだけど目立つもの、光沢のある白地にラメで店名が入ったもの、ベロアのような手触りのもの、鉄版にデザインが彫られたもの、すべて雰囲気の違う名刺だ。
今や名刺は100枚1000円程度でも作ることができる。松下さんが作成する名刺は100枚約7000円からで、上質な紙やベロア生地に変更したり、箔押しをしたりすると2万円をゆうに超えるものもある。
それでも現在、月60件程度は注文が入るという。依頼者の約半数はホストで、ボーイが3割、キャバ嬢と一般人が1割ずつだ。松下さんは「やっぱり高い名刺を持つ人は出世しますね」と語る。
「あじと名刺を始めたばかりのとき、あるホストの名刺を作りました。最初はすごくなよなよした男だなと思ったんですが、1枚4000円する名刺を作った半年後、すごく堂々とした男になっていたんです。個性的な名刺のおかげで会話が弾むようになって、自信がついたって。今はホストクラブの経営者まで出世しました」
また海外で仕事をする男性からも注文があり、「ギンギラの名刺を作りました。派手な名刺だと初対面の人に渡す時に話題になるからいい、と好評でした」と話す。
ホスト→ホスト”名刺”職人へ 依頼者は「個性的で人と違うものがいい」という人多数
松下さんも元々、ホストとして働いていた。中学卒業後に上京し、練馬のホストクラブに入店した。20歳の時、先輩に「ホスト・キャバクラ専用の名刺作成を手伝わないか」と声をかけられ、夜職専門の名刺業界に脚を踏み入れた。
先輩のもとで制作を手伝いながら、サンプル集を持ってお店に営業した。そこで、どんな名刺を求めているか聞いてデザインに反映していった。個性的な名刺の効果も、ホストクラブで実感した。
「やっぱり普通の名刺から個性的なものにしたら、お客さんからの反応が変わりますよね。名刺を面白がってくれますし、笑顔になってくれます」
28歳までホストと名刺屋とガソリンスタンドで働く三足のわらじ生活を続け、30歳で独立。「あじと名刺」を構えた。現在、公式サイトから注文を受け付けているが、「いま100%オーダー名刺状態になっているんです」と話す。
「特定の名刺デザインで注文が来ても、『こういうのもいいんじゃない?』って10種類以上のサンプルを送っています。依頼者の相談しながら名刺を作成しています。どんな人なのかを知るために会いにいくこともありますし、LINEや電話でやりとりをしながら作ります」
どんな依頼人なのか知り、そのイメージを大切に作るという。ホスト名刺はどの時代も、黒・金・箔押し・浮き出し(ぷくぷく)を好む人が多いという。1980年代後半は通常より小さなサイズのものや名刺や和紙のものが多く、1990年代は風景や動物などの写真が印刷されたものが流行っていたという。
「2000年代からは自分の写真を載せた名刺も多くなりましたし、今も注文が入ります。ただ、やはり依頼をされる方は『個性的で人と違うものがいい』という人ばかりですね」
基本的にどんな要望にも応えるが、「例えばQRコードを箔押しにしたいと言われると『読み取りやすさを考えると普通の印刷がいいと思います』と提案することもあります」と話す。
「名刺職人って人を楽しませる仕事だと思うんです。その人の役に立って、出世するために何ができるんだろうと常に考えています。その人自体を理解して名刺を作るようにしています。その人が必要とするなら、名刺作成以外のこともしますよ」
松下さんは名刺作成のほかに、コースターやライターなどのノベルティ作成、店内のディスプレイ、シャンパンタワー制作、看板制作、写真撮影、PR動画制作なども行っている。「お客さんに『あれやりたい』といわれたら断らないと思います」と話しいていた。あじと名刺はオンラインで注文可能。約1週間程度で手元に届くという。