日本史好きの4割が「明智光秀は生き延びたと思う」と回答 大河「麒麟がくる」で”生存説”匂わせ
今月、最終回を迎えた俳優・長谷川博己さん主演の大河ドラマ「麒麟が来る」。ラストで明智光秀の”生存説”が匂わせておりSNS上で話題になった。実際、”日本史好き”はどう捉えているのだろうか。
日本トレンドリサーチは2月8日~12日に日本史に関する調査を実施。日本史が好きだと回答した男女1400人のうち、明智光秀が「山崎の戦い以降も生きていたと思う」と回答した人は38.3%となった。
「生き残ってほしいという願望を持つ人が言っているに過ぎない」
理由としては、「明智光秀を討ちとったという証拠なるものが見つかってないから」(20代・女性)といった声が多く寄せられている。ただ、
「秀吉側による光秀の遺体検分は甘かったともいわれており、必ずしも殺されたとは限らないから。生存説は願望でもある」(50代・男性)
「生き延びて徳川家康の側近の僧侶天海として生きたという説があり、歴史ロマンを感じるのでこの説をとりたいと思う」(50代・男性)
など、正しいか否かというより”生きていると信じたいから”と感じている人も多いようだ。こうした考察ができるところが生存説の面白いところなのだろう。一方、「山崎の戦いで討たれたと思う」(61.7%)という人からは、
「首実検で不審があれば秀吉が何がなんでも探し出していただろうし、天海説は興味深いがどれも真実性に乏しい」(50代・男性)
「山崎の合戦以降どこかで落命したと思う。もし落ち延びていた場合は、その後の豊臣から徳川へ政権が移ってゆく中で何らかの痕跡を残している筈だと思う」(70代・男性)
といった声のほか、「多くの文献にそのように書いてあり、生き残った証拠は皆無である。生き残ってほしいという願望を持つ人が言っているに過ぎない」(70代・男性)という指摘も寄せられている。