人生を棒に振ったと感じたこと 「10年付き合った彼氏に振られた」「不妊治療の失敗」
人間はせいぜい100年程度で死ぬのだから、怠惰に生きている方がマシだ、と僕は思う。
毎日早起きして出社して、遅くまで残ってサビ残したり、ブラックで汗水流したり、働きすぎて過労死するリスクなんか負いたくない。だってそういう生き方をしてると、いよいよ今際のときにふと「ああ、あのときのあの苦労。結局まるっと一切全く意味なかったな」って虚しくなるだろうし。(文:松本ミゾレ)
病気で15年間不自由な暮らし「何事にも意味があると思えば良いが、棒に振った感が拭えない」
先日、「ガールズちゃんねる」にて「人生を棒に振ったと感じてる人」というトピックが登場していた。トピ主は現在アラフォー。周囲の人々と比べて冴えない日々を送り、落ち込むばかりだという。
その理由は、自身の病気。15年ほど”人間らしい生活を送れなかった”と書かれている。正確な病名は分からないが、相当苦労をしたようだ。そしてこの15年の喪失が原因なのだろう。「人生には何事にも意味があると思えば良いのですが、棒に振ってしまった感が拭えません」という。
僕は15年もの間病床に臥せったことがないので、滅多なことをいって賛同することは恐れ多くてできない。が、25歳ぐらいのときから5年間家の中にこもりっきりになって、ひたすらのんびり自分が貯めた金を使って暮らしていた時期を振り返ると、「ああしておけば」「こうしておけば」という後悔は出てくる。だからこの人物の苦悩の、1/8192ぐらいは理解できる。
努力を重ねて一流企業に就職するも、30歳で癌になり退職「こうなるって分かっていたらもっと自由に過ごしたのに」
人生を棒に振ったという感覚に囚われている人は、トピックを立てた人物以外にも、もちろんいる。結構シビアな事態を経験してきた人もいるようだ。ちょっとこちらで紹介してみよう。
「クリスマス直前に10年付き合ってプロポーズされると思ってた男に振られた。人生棒に振った。もう結婚も出産も無理だ」
10年も引っ張って、よりによってクリスマス前に振られる。まるで落語のようだが、当事者の立場を考えると笑えない。
「病気が再発して、一番の希望であった出産を諦めて、それでもなんとかチャンスが巡ってきて結婚をした。それなのに夫がED、不妊治療をするも、結局出来なかった」
妊娠はひとりでは出来ないことだから、自分の努力だけじゃどうにもならない部分はあるけれど、これは切ない話だ。
そして、これが恐らく一番むごい。この人の無念さは相当なものである。
「子供の頃から習い事を沢山して、いい高校から国立のいい大学に行って一流企業に就職したのに、30歳で癌になって体力的に周りについていけず辞めました。東京から田舎の実家に戻ったらもう簡単に都会で再就職もできない。こうなるって分かってたら若い頃もっと自由に過ごしていたのに。自分の未来のために頑張ったのに」
今回ちょっと洒落にならない深刻な書き込みが多い。他人の不幸話は好きなタイプだけど、それも度合いによると、つくづく実感した。
一度きりの人生を、深刻な原因のせいで何年もふいにしてしまうと、その後に立ち直るのも辛く感じるもの。ここで前向きなライターなら「でも、それでも僕らは前を向いて歩くしかないんだ」みたいなことを書いて締めるんだろうけど、そんなクサすぎることは僕には書けない。
起きてしまった不幸は変えられないし、ことがことだけに忘れることもできない。残念ながら、人生において致命的な躓きをしてしまったが最後、恐らく人間は死ぬまで「ああ、あのときのアレさえなければ」と考えることを止められないのだろう。
第一「人生を挫折して棒に振った」と思うに至るには、当人なりのロジックがある。そしてこれって、他人がどうこういって救われるものではない。挫折した後、残りの人生の建て直しを図る気力なんて残ってはいないだろう。このような境遇を味わった大多数の人は、僕が知る人たちを見る限り、「もう後は消化試合」としか考えられなくなっているように思う。