「厄年の人は歳の数だけ洗剤を配る」福島のローカルマナーが話題に 地元スーパーも厄年用の洗剤を販売
福島市に本社を置くホームセンター「ダイユーエイト」の店舗では、厄年用の洗剤1本1本に熨斗を付けたいという希望に応えるために、洗剤用の熨斗を用意している。「お申し出があったお客様には熨斗を付けてお渡し」しているそうだ。取材に応じた担当者に、洗剤を配る風習が全国的ではないことを伝えると、
「えっ、そうなんですか?私は60歳手前ですが、物心ついた時から洗剤を配っていましたが……県北独自ですか……」
と驚いていた。
伊達郡在住の50代男性も「自分が子供の頃、4~50年前から洗剤を配る風習があった」と振り返る。洗剤を配る本数は、歳の数だけの人、配れるだけなど様々だ。伊達市出身の20代男性は、
「数えで25歳のとき、歳の数ではなく配れそうな親戚の分だけ、熨斗のついた洗剤を買って配りました。前厄や後厄はやらず本厄の年にだけ配ったので、あまり重視してはいない習慣なのかなと思います」
と語っていた。福島市内在住の60代の女性も、「歳の分で金額も上がるから、やらなくなる人もいるのではないか」と話していた。
厄年の人が品物を配る風習は自体は古くからあったようだ。福島市北部の神社関係者、伊達市の保原歴史文化資料館の職員によると、周辺の地域ではかつて「『厄を飛ばす』という意味で、女性は紙風船、男性は凧を歳の数だけ配る風習があった」という。また、福島市内に住む80代の女性も「厄年の人がいる家が物を配る習慣は戦前からあった。配る品物は家によって異なるが、お赤飯などを経木に入れて配っていたのを見た」と明かしている。
しかし、こうした風習がなぜ洗剤になったのか、理由ははっきりしない。「厄を洗い流す」という意味があるとも言われているが、人によって、
「凧揚げする場所がなくなったためではないか」(福島市北部の神社関係者)
「紙風船や凧を売る駄菓子屋や雑貨店がなくなり、手に入れるのが難しくなったからではないか」(福島市の60代女性)
とばらばらの答えが返ってきた。
福島市中心部の神社関係者は個人的な推察として「洗剤メーカーの販売促進ではないか」と述べていたが、ライオンの広報担当者に聞いたところ、「そうした風習は知らないし、特別な販売戦略も取っていない」と言う。
花王の広報担当者は「十数年前に知った」と、最近になって知ったことを明かした。「4・5年前からは弊社でもポップを作るなど、販売促進に取り組んでいる」と語っていたが、始まった理由はわからないという。少なくとも、企業のマーケティングで根付いた風習ではないようだ。
花王は昨年から厄払い用の熨斗付き洗剤をネット販売「全国でやってもらえれば」
古い文献によると、かつては全国各地で「厄祝」として、厄年の人が物を贈ったり宴を開いたりしていたようだ。1936年に兵庫県多紀郡篠山町が発行した郷土史『篠山町の栞』には、男性は42歳、女性は33歳になる前の年の冬、鏡餅を作って親戚に配り、貰った人は翌春に着物か反物をお祝いとして返す、と記載がある。
さらに、明治時代の新聞記者、大口六兵衛の著書『進物案内:義理祝儀』(1895年)には、厄年の時には親しい友人を招いて身分相応の酒宴を開き、「悪魔をば打ち払いて西の海へさらりと流」すという記述もあった。
大口六兵衛の出身である名古屋市の鶴舞中央図書館の司書は、「本の中にどこの風習か書かれていないので、市内なのか全国の風習なのかは断定できない」としつつも、宴を開く、物を贈る風習が日本のどこかに存在したことは確かだとしている。
あくまで推論だが、福島県県北地方で厄年の際に洗剤を配る風習は、厄年のときに物を贈ったり宴会を開いたりする「厄祝」の習慣が、時代に合わせて形を変えたものと考えて良さそうだ。
ちなみに、洗剤を配る風習を受けて花王では昨年から、厄年用のラッピングがされた洗剤をインターネットサイト「ロハコ」限定で販売しているという。同社の担当者は、
「この地域だけでなく、手軽に出来る厄落としということで、全国でやっていただけたら」
と話していた。