安田顕主演『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』は正直キツいけど最後まで観た人の”お守り”になり得る映画だった
同作は胃がんを患った母・明子さんの闘病生活と、サトシの幼少時代から母の死後を丁寧に描いている。サトシ自身、学生時代に白血病で闘病生活を送っていた。当時、「絶対大丈夫」「なんも心配いらない」と明るくパワフルに励ます母親に、サトシは救われる。
そんな母親が突然がん宣告される。今度はサトシが「俺がいるから大丈夫。お袋は必ず良くなる。大丈夫だよ」と声をかける番になる。しかし病気が進行する姿を、ただ見ることしかできないというのもつらいものだ。
当然、最もつらくて頑張っているのは闘病者本人だと分かってはいる。でも少しでも本人が弱音を吐くと、ふと「治す気あるの?」と言ってしまうこともある。言われた本人からしたら「私なりに頑張っているのに」と思うだろうし、言ってしまった側には後悔が残る。
「闘病がんばって」「早く治して」といった言葉は励ましでもあるが、周りの人間にとって「そうであってほしい」という願望でもある。どうにもならない現状へのいらだちから、つい一番がんばっている人間にそう言ってしまうのだ。
筆者が中学生の頃、祖母ががんを患った。母が中心となってサポートしていたが、祖母は自分ががんだという事実に気が滅入っていて、そんな祖母を看る母もぶつけようのない不安やいらだちがあった。
だからこそ宮川一家の様子が自分には堪えた。サトシの心無い言葉や、「母のガンを治す」ためのお百度参りなど斜め上に行く努力も正直、観るのがしんどかった。
『ぼくいこ』はさまざまな後悔を丁寧にすくい上げる作品
でも救いはある。今まで行き場のない苛立ちから、言いたくない言葉ばかり出てしまっていたけど、最後の最後にサトシから「本当に言いたかった言葉」が出たときに、自分ごとのように安堵した。その一方で、言えなかった側の人間としては羨ましく感じられた。
言ってしまった言葉は戻らないし、相手を傷つけた事実は戻らない。逆に「言いたかった言葉」も言わなければ伝わらないし、言えなかったことで一生後悔することもある。そんな後悔をしそうな一歩手前で、この映画を思い出すのではないかと思った。
この作品には病人との向き合い方も描かれている。母の死を受け入れられないまま介護をする息子、妻が死んで生きる気力を失う父、母の世話を十分に出来なかった兄……人それぞれに後悔はある。
それでも「母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。」という衝撃的なタイトルと反して、とても温かいストーリーで、そのさまざまな形の後悔を丁寧にすくい上げる作品だった。
いつか迎える家族の死の際、それだけでなく言葉で人を傷つけてしまいそうになる一歩手前、この映画をふと思い出すのではないだろうか。そしてそのとき、お守りみたいに支えになってくれる作品ではないだろうか。
映画『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』は2月22日(金)から全国順次公開。