地方民の休日が「イオンかパチンコ」になる理由 都会モノにはわからない地方の感覚
以前、東京の外れ出身という人が、よりによって九州のクソ田舎出身の僕に対して「わかる~うちも田舎でさ、何にもないの」とか、のたまってくれたことがあった。
その場では「そうなんですねえ」とか言って流したんだけど「電車が1時間に5本も6本も来るような利便性最高の土地に生まれて何言ってんだ」と、はらわたが煮えくり返った。
何もない、ということについての、決定的な感覚の違いを実感したのである。しかし、すぐ我にかえって、それを相手にぶつけてもきっと理解はされないだろうと思い直した。人間って、自分という存在のスタート地点が一番素朴に思える生き物だろうし。
でも、ガチで田舎に住んでいたころって、本当にすることなんてなかった。休日ったってすることなんてない。都会みたく美術館の展示が頻繁に切り替わることもない。トレンドとかカルチャーに触れるとかも無縁だ。
田舎だと、クレジットカードの優待特典も使えないのがある。たとえば高級飲食店に向かう際にリムジン送迎をしてもらえるサービス。そもそも田舎にはそういう店がないし、リムジンも出張ってはくれない。
「TOHOシネマズのチケットがもらえる!」と言われても、TOHOシネマズがない。田舎って基本的に、都会に比べると、出歩く楽しみ自体がものすごく少ないのだ。(文:松本ミゾレ)
地方民にあたえられし休日の恩恵、ショボすぎ
先日、2ちゃんねるに「【絶望】地方民、マジで休日行くところ無さ過ぎてつまらない」という田舎臭いスレッドが立っていた。どこの田舎者が立てたスレだろうか。群馬かな?
スレ主は本文で「パチンコ屋とイオンとゲオしかないんやが」と書き込んでいる。しかもこの人、パチンコはしないし、サブスクの動画配信サイトを視ているのでゲオにも行かないそうだ。
スレッドには他にも地方民がいたので、ちょっといくつか田舎からの書き込みを引用させていただきたい。
「自然とパチ屋に行き着いた」
「栃木いた時は打ちっぱなしで時間つぶしてたな」
「ゲオとゲーセンくらいしかないよな」
とこんな感じで、地方のさびれた町出身の人なら「だよね」ってなる意見が目立つ。ホント、田舎ってすることがないもん。
ちなみに、このスレッドが立ったのは7月24日土曜日の昼間。”土曜の昼にこういうスレッドが出来上がる”という状況そのものが、田舎では休みの日にすることがない、というスレ主の主張を補強している。
都会生まれの人間の、地方への理解度の低さは異常
さて、冒頭で東京モノに「うちも田舎でさ~」みたいなことを言われたという話を書いたけど、このスレッドにも「自称田舎者の都会人」が書き込んでいるみたいだった。次は、そういうのを紹介していきたい。
「都民も対して変わらん。近場ウロウロするだけ」
まずはこれ。近場をウロウロするにも便利なんだよね、東京は。「近場」っていうけど、都内の「1駅歩く」と、田舎のそれは意味合いが全然違う。田舎の距離感を理解できていたら、こんなこと言わないと思う。あと普通に、田舎と都会じゃ街の密度も違うからね。
「別にビル街歩いても言うほど変わったもんもないし暑いだけで楽しくないぞ。田舎もんの発想や」
こういう意見もある。
これに対しては「じゃああなたは、本当の意味で変わったもんがない田舎の細道とビル街、どっちのほうが刺激があるって思うんです!?」と問いかけたい。マジで何にもない田舎道なんて歩いて満足出来るのは、地方に旅行に来たばっかりの都会っ子と散歩中の犬ぐらいのものである。
ここでマジメな話。
僕はしょっちゅう都内に出没しては、些細な仕事を貰って生きているんだけど、やっぱり交通インフラの普及の違いってデカいといつも思う。移動におけるストレスの量が、田舎と都会じゃ全然違う。「電車を逃したら1時間ぐらいぼんやりと待合室にいる」というような無駄がないんだもの。
バスもタクシーも数が全然違う。移動に無駄が生じなければ、休日をより有効に活用出来る。遊びに注力する時間も多く確保出来る。都会って不便も多いんだろうけど、やっぱり休日の行先の選択肢ってなると、田舎の比じゃあないよ。
何年か前、僕の帰省に当時付き合っていた都内出身の女の子が同行することがあった。開口一番「いいところだね」とか言っていたが、5時間もする頃には明らかに飽きて携帯ばっか見てたし、「ロイホ行きたい」とか言ってきたので「そんなものはない」と答えたら失笑していた。
さらに「じゃあバーミヤンかジョナサンは? それなら田舎でもあるでしょ」とも問われたが、僕の答えは変わらなかった。田舎の不便さというものは、田舎にいないと分からない。地方民の休日は、イオンかパチンコ! これなのである。実際、駐車場満杯になりがちだし。