件の不倫肯定発言は同書第一章で述べられている。最近の若者の恋愛離れに触れる一方で、若者には恋愛に憧れる情熱が備わっているとし、
「誰かが少し背中を押してあげたらいいと思いますね。情熱に身を任せて不倫でもなんでもやってみたらいいじゃないですか。傷ついて別れたっていい、また誰かを好きになったらいいんです」(P21)
と述べている。しかし、「人を好きになるのは雷が落ちるようなものだから仕方ありません。不倫してはいけないといっても好きになる」(P26)と、恋に落ちた結果、偶然不倫となってしまったのであれば仕方ない、と考えているようだ。ただ、
「一言付け加えておくと、男は代えれば代えるほど悪くなる。これも経験者は語るだからよく覚えておいてください。どんなに代えてもせいぜい似たような相手ばかり。好みは変わりませんからね」
といい、「愛する人が一人で終わったら、それが一番幸せなのは言うまでもないでしょう」としている。恋愛はパターン化しやすい。こういうタイプの人とばかり付き合っているな、とハッとすることもあるだろう(だからこそ不倫から抜け出せないのかもしれない)。
アラサー婚活女子の筆者としても納得だ。好きなタイプはたしかにあるし、恋愛を重ねると「次はこういう人がいい」と思う反面、「最悪○○でなければ……」と相手に求めるハードルも低くなる。最終的に「何かしら仕事に就いていれば」になったこともある。
「不倫をやったりしてマスコミから叩かれているような人たちを、つい助けたいと思う」
全体的に寂聴さんは積極的に不倫を推奨しているわけではなく、「そうなったのであれば仕方がない」というスタンスだ。社会的に見れば当然ながら、不倫=悪、許されざること、だ。それに変わりはないが、では許されないことをしてしまった人はどうするべきか。
何より寂聴さんは天台宗の尼僧だ。当事者に正義の鉄槌を下すのではなく、尼僧としてひとりの人間が少しでも楽になるようにと言葉を発しているようだ。そのため法律や社会的観念云々というより、浮気をされた場合も、
「たとえば、亭主が他の女に手を出した。浮気して帰ってこないなんていうこともあるでしょう。そんな時も負けちゃダメなんです。『そう、それじゃ私も浮気するわ』なんて宣言して、自分も男をつくればいいんです」(P102)
としている。寂聴さん曰く、自由とは「心にわだかまりのないこと。他からの束縛を受けず、自分を中心にして何ものにも振り回されない」という。寂聴さんの考えにふれるには、世間体や周りが何を言っているかではなく、”自分”ベースで考えることが大切なのかもしれない。
また自身については、「私はだいたい、いじめられている人にやさしい。薬をやったり不倫をやったりしてマスコミから叩かれているような人たちを、つい助けたいと思う」(P134)とコメントしている。
あくまでも寂聴さんは尼僧だ。救いを求める人に手を差し伸べることが仕事とも言える。そのため、この場で正しいか否かで議論するのはまた別の話のようだ。
同書は発売から2か月で3版、累計5万8000部刊行。重版を記念し、朝日新聞出版公式ツイッターでは同書に収録されている”名言”を選び、スロットにした「寂聴先生幸運の名言めくり」が1月24~28日に1日1回投稿される。24日投稿のスロットには、
「青春は恋と革命です。それは失敗や死をも恐れない情熱の発露でしょう」
「私の健康法はとてもシンプルです。第一に好きなことをすること。次によく眠ること。そして肉を食べること」
といった言葉が収められている。