貧困女子高生問題で若新雄純氏がコメント 相対的貧困は「問題ではなく精神的な状態」
「相対的貧困とは、一般的に『ふつう』と呼ばれる生活の2分の1くらいの水準で生活することです」
若新さんの説明によれば、貧困には絶対的貧困と相対的貧困の2つの概念がある。絶対的貧困はいわば発展途上国で起こる貧困で、食べ物も不十分な状態を指す。対して相対的貧困は主に先進国で起こるもので、平均的な生活水準の半分に満たないような状態のことを指す。
日本の生活水準は国際的に見て高く、「ふつう」の水準も高い。そのため、食べるものもない絶対的貧困とは違って、相対的貧困にある人は周りから貧困に見えにくいのが特徴だという。
若新さんは「貧困JKへのバッシングの理由の一つは、多くの人がイメージするのが絶対的貧困だからでしょう。絶対的貧困は日本ではほぼなくなっているので、貧困JKのようにたまにランチ1000円を食べるなんてあり得ることです。そして、あえてそれをSNSにアップすることに意味があります」と語る。
「おれ、相対的貧困だから奢って」ぐらいの開き直りが大事?
相対的貧困では周りとの比較によるジェラシーや劣等感など精神的なものが問題になるという。
「なので、フェイスブックやツイッターで、相対的貧困という状態であっても、たまに豪華なご飯を食べたことを自慢したくなったりとか、『自分はそんなに苦しい状況じゃない』とアピールしたくなるのも当然といえば当然」
というのだ。しかも、絶対的貧困と違い相対的貧困は誰かが手を差し伸べれば解決する、という単純な問題でもない。他の人が高い水準の「ふつう」を享受する中、「自分だけ違う」と精神的に苦しむのは「ごはんが食べられない苦しみとは違う」とし、「相対的貧困は、問題ではなく状態」だと持論を展開する。
「相対的貧困は相対的な問題なので、先進国でも必ず一定数起こりうる。それを『困った問題』だとすると惨めな存在にしてしまうけど、誰かには起こりうる状態の中で精神的に自分の状況をどう捉えていくかということの方が大事」
その上で若新さんは、極論としながらもある意味開き直ってしまうことを推奨する。たとえば、一部の引きこもりが自分たちのことを「ヒッキー」と言うなど、自らの状況をネタにして受け止める人が近年増えていると指摘。相対的貧困の人も、たとえば飲み会で「今日は割り勘ね」と言われたら「オレ、ソーヒン(相対的貧困)だからおごって」というぐらいのノリでもいいとする。
先進国の日本ではどんなに手を打っても一定数は相対的貧困になってしまうのだから、悲観的になるのではなくポジティブに向き合っていけるといいのではないか、ということのようだ。
そして、相対的貧困が精神的な状態であるとするならば、「NHKが取り上げた事例も変じゃない」とコメント。「『あれを持ってるから貧しくない』ということではない。だから本人も名前と顔を出して出れたのでは?」とし、この状況を慎重に見るべき必要があるとしていた。
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