「なぜ働きたくない人は咎められないの?社会貢献する気概がないのに」に批判殺到 「働く=社会貢献というのがおかしい」
人はなぜ働くのか。ある人は「お金のため」、ある人は「社会的地位のため」といった具合に、その理由は人それぞれだ。内心では「働きたくない」と思いながらも、なんとか理由を作って働いている人もいるだろう。
はてな匿名ダイアリーに3月23日、「『働きたくない人』がSNSで咎められないことが怖い」という記事が投稿された。
働きたくない、という人が増えるなら「豊かすぎるのも考えものだなと思った」
投稿者は、よくツイッターで見かける「仕事したくないし金だけ貰って寝て食べるだけの暮らしをしたい」というツイートは、冗談だと受け止めていた。それがここ数年でグッと「本気で言っているのでは?」と思うようになったという。「別にブラック精神をみんな持つべきとは思わないが」と述べた上で、世相を憂いている。
「日本全体としてもはや『社会に貢献しよう』という気概が失われているというか、社会貢献する気のなさを口に出すことを恥とも思わなくなっているのが当たり前になってしまっている気がしている」
「働きたくない」とSNSで発言する人が咎められないことに対して恐怖感を抱いているようだ。自分でも、このような考え方は古いのでは、と思っているようだがこの投稿はこう締められている。
「そんな豚みたいな生活をすることが豊かさの一番上にあるのなら、豊かすぎるのも考えものだなと思った(逆に、豊かでないからこういう考えが出るという考え方もあるとは思うが)」
「頑張っても搾取されるだけって、みんな気が付いちゃったから」
この投稿に、はてなブックマークには批判の声が相次いだ。勤労は国民の三大義務であることから「みんな割とイヤなものだから義務なんでしょ」という人もおり、多くの人が働かずに済むなら働かずに生きていきたいと考えているようだ。
むしろ「働くことで失うものが多くなってきてしまった」と感じている人もいる。
「健康とか幸福とかそうしたものを仕事に奪われる人が増えてしまった。働いて得た金より治療費のほうが高くなってしまった。その結果だよ」
このように「頑張っても、搾取されるだけってみんな気が付いちゃったね」と、今の労働環境の中では働くだけ損だと思ってしまう人もいる。最近はブラック企業の問題が明るみに出たことも大きいだろう。
SNSが普及し、様々な思考が可視化されたことで「働くのがつらいから働きたくない」と口に出していい雰囲気が作られたのでは、と世の中の動きを肯定的に受け止める人もいた。
「働きたくない」という気持ちが人類を進歩させてきた?
そもそも、ここで言われている「社会貢献」とは何だろう。「働く=社会貢献、じゃねーよ」と切り捨てる人もいれば、消費するだけでも一応「社会貢献」していることになるという人もいる。何をもって社会貢献とするかは一概には言えない問題だ。
「自分の仕事が社会に貢献してるか、害のが多いか、なかなか判断しづらい」
また、「社会貢献を意識して働いてる人なんてどれだけいるんだろう」という声も上がっている。少なくとも個人レベルでは社会貢献を意識する必要はなく、「意識すること自体は殊勝だと思うけど基本的には自分の目的のために働くべき」という人もいた。
「働きたくない」という気持ちが人類を進歩させてきた、というコメントもあった。「もし人が働きたくない、怠けたいと思わなければ、洗濯機も掃除機も計算機も生まれなかった」というのだ。自分の中にある「働きたくない」という気持ちを受け止めた上で、どう働くのかを考えるのが肝要だろう。