3.11後、東北の水産・観光業はどう変わった?「震災前に戻るのはやめようと思った」―求められる経営力とは
ビズリーチと一般社団法人RCFは11月8日、「東北『水産・観光』人材交流イベント」を渋谷のビズリーチ本社で開催した。現在、人材獲得に向け動いている東北の水産・観光業の8企業・団体が、パネルディスカッションや試食会を通してPRを行った。
オープニングでは、SOZO代表・吉岡隆幸さん(35)が「食・観光を通じた地域活性化」について講演した。吉岡さんは、食を通じて地域経済の活性化を目指すプロジェクト「ダイニングアウト」で食材調達コーディネーターを務めている。
「食と観光で地域活性化をするのであれば、”翻訳スキル”が必要になる」
ダイニングアウトは、”その土地ならでは”の食材にこだわり、各地で数日限定だけの野外レストランを展開。有名シェフによる地元食材をメインに使用した料理など、その土地の文化や伝統芸能を楽しんでもらう、という趣旨だ。
吉岡さんの仕事は、実施にあたり”外からの目線”で、地域の食材や伝統芸能の魅力を再発見することから始まる。
「東北の人からすれば牡蠣やアカモク(海藻)は、馴染みのある普通の食材と思っているのではないでしょうか。でも私からすれば素晴らしいものです」
地元スタッフに新しい目線を提供し、シェフに食材の良さを伝えて両者の橋渡しを行う。地域活性化のためには、地域の食、文化、伝統を外部の人に翻訳して伝えるスキルを身に着けることが必要だと語った。
「復興支援者が『何か買って帰ろう』と言ってくれても、売れるものがなかった」
続いて東北で水産・観光業を営む3企業・団体が、企業・団体の説明や、東日本大震災を経験しての変化などについて話した。
宮城県でホテル経営や水産加工などを行う阿部長商店の代表、阿部泰浩さん(54)は、震災直後を振り返り「復興支援のため多くの人が東北に訪れ『何か買って帰ろう』と言ってくれたが、売るものがなかった」という。
「ホテルの売店で『ふかひれスープ』が人気でした。でも震災でそのメーカーもなくなったので、自分たちで作ることにしました。観光部門(ホテル)の調理師がスープを作り、水産部門(加工)がレトルト化する。同じ味になるか、何度も試行錯誤し、2か月で商品化しました」
震災前は観光部門と水産部門の間で交流はなかったというが、この件から連携するようになった。現在、「両部門をクロスさせて新しいものを生みだすことを手伝ってくれる人。いままでの攻めていけなかった体質を打ち破ってくれる人」を求めていると語った。
「来てくれたボランティアは19万人。どうやって興味を持ち続けてもらうか」
観光客や企業向けに体験プログラムのコーディネイトなどを行う一般社団法人、マルゴト陸前高田の理事、伊藤雅人さん(35)が取り組みについて語った。伊藤さんは震災発生直後、災害ボランティアセンターでボランティアのマッチングをしていた。
「来てくれたボランティアは19万人。でもこの人たちは震災がなければ来なかった」
そうした人たちに、今後も東北に興味を持ち続けてもらうため、現在、復興最前線ツアーや漁業などの体験活動プログラムを実施している。
現在、陸前高田市に来てもらうために、県外企業向けにオーダーメイドの研修プログラムを企画する人材を募集しており、「いろんな世代の行政もJAも連携しています。魅力的なまちづくりを一緒に手伝ってください」と呼びかけた。
また宮城県石巻市で海産物の加工、製造・販売を行う「末永海産」代表の末永寛太さん(40)は「操業再開にあたって、震災前には戻らず新しいことをやっていこうと決めた」と話す。
今までは「鮮度のいいものを鮮度のいいうちに」がモットーだったが、無添加の加工食品開発にも力を入れ、新しい販路開拓にも積極的に取り組んでいる。観光客や海外客も意識し、海外の食品バイヤーが来たときは朝に釣った魚を料亭でさばいて食べてもらうなど、石巻のいいところをアピールしている。
同社では若い人が中心となり働いており、エネルギーはあるというが「経験のある人に来てほしい。石巻には新しいものを創造するチャンスがあります」とコメントした。
「東京からは、地方企業の姿は見えてこない」
交流を兼ねた試食会では、「さんまの甘露煮」(阿部長商店)や「燻り牡蠣」「燻りほや」(末永海産)、「牡蠣のバーニャカウダ」(岩手県・ぶらり気仙)など、8企業・団体おすすめの商品が振る舞われた。
試食会といえば小さなトレーに少しだけ、というイメージがあるが、居酒屋かと思うほど量が出てくる。参加者からは「お酒が欲しい」という声が上がっていた。
夫婦で参加している女性は「どれも美味しかったけど、金華サバのハンバーグが美味しかったです。魚のくさみが全くなくて、これがサバなの?とびっくりしました」と話す。Iターン就職を考えており、「パネルディスカッションした企業以外の話も聞きたかった」と前向きだ。
東北出身だという女性も「いま働いているスキルを活かして、東北で働けないかと考えて参加しました。東京からは、今回参加しているような地方企業の姿は中々見えてきません。今後もこんなイベントがあればいいなあと思います」と語っていた。
「外の人と繋がる価値を知っている、僕たちの世代がやっていかなければ」
「マスカットサイダー」(岩手県・神田葡萄園)を振る舞っていた「高田暮舎」理事長の岡本翔馬さん(34)は、震災を機に地元に戻ったUターン就職組だという。
「震災後、避難所の運営をしていました。でも外から来る人と、地元の人とがうまくいっていなくて、東北には『両方の感覚』を持っている人が必要だと感じました」
陸前高田市出身で、当時東京に上京して10年だったという岡本さん。県内と県外を繋ぐのには適任なのではと思い、地元に戻ったという。岡元さんは「極端な話、震災がなければ今日のようなイベントが開催されることもなかったと思います」と話す。
「これをチャンスだと思って、持続性のある地域にするためにどうするか。そのためには、いろんな人と関われる地域であることが重要だと思っています。地元だけで完結せず、『外の人』と繋がる価値を知っている僕たちの世代がやっていかなければ、と思っています」
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