「病むくらいなら逃げなさい」真に受け7年引きこもった人 優しいふりをしたがる人たちの被害者なのでは?
先日、はてな匿名ダイアリーで「社会に出る引きこもりにアドバイス下さい」というエントリーを目にした。
日記を書いたのは、7年間の引きこもりを経て、このほどやっと正社員として雇用されることが決まった人物。「就職決まって良かった。嬉しくて涙が出てきた」と大いに喜ぶが、
「今は社会に出ることが怖くてたまらない。自分は社会経験ゼロの人間だ。いい歳をして」
「社会人って何だ。どうやってなるんだ。怖い怖い」
と、大きな不安にも見舞われている。
投稿者は自分の引きこもりの原因を、逃げ癖だったと分析する。小さな頃から何事も途中で投げ出し、最後までやりきれない。そして、そんな投稿者に周りがかけた言葉がこちらだ。
「死ぬくらいなら、病むくらいなら、逃げなさい」
はい出た。他人の人生だからって、こうやって自分が言って気持ちが良くなる美麗ワードを無責任にかける人。いるんだよなぁ~!投稿者はその言葉を真に受けて7年も引きこもり、今は社会復帰に恐れ慄いているではないか。
綺麗なセリフを言いたいだけの人、言葉の重みを自覚して
今の世の中は、首を捻りたくなるような安直な言葉が、やたら名言のように扱われる傾向がある。「逃げたっていいんだよ」だとか「自分らしく生きていいんだよ」みたいな。
僕でも言葉の意味合いは理解できるんだけど、かといって何から何にまで通用する名文句ではない。逃げることは否定しない。だけど逃げることを勧める以上、そこから先の道筋もセットでアドバイスしなければ意味がない。
人生においては、嫌でもやらなくてはならない、立ち上がらなくてはならない局面は絶対に訪れる。それなのに、そういう状況の人に対して、ただ自分が気持ちよくなりたいがために、安易に「逃げてもいいんだよ」を言いたがる人って、結構多い。
その結果、自分の言葉を受け取った他人がどんな人生を送ろうと、そんなことはおかまいなし。何なら発言した事実すらさっさと忘れて、恵まれない境遇の人を見つけては綺麗な言葉、自分が言って感動できる言葉を吐きかける。
この日記を書いた人物は、「嫌なことから逃げていいんだよ」という言葉を浴び続けて今のような境遇に至ってしまった。が、そんな状況を招いた言葉の吐き手たちは、恐らく自分が悪いとも思わないんだろう。聞こえのいい優しい言葉をかけてあげる自分を、天使か何かだと勘違いしているかもしれない。
言葉には、人の人生を左右する力がそれなりにこもっている。名言を言いたいがために、他人さまに逃げることばかり勧めるような人間は、自覚のない悪魔でしかない。