世の中にはオタクが溢れている。だが、どんなジャンルのオタクも大抵どっかしら変な部分がある。それだけ見てくれがイケメンであっても、オタク趣味が昂じて暴走し過ぎれば、外からはやはり奇異に見えてしまう。
僕は怪獣オタクだけど、やっぱり俯瞰で自分を捉えても気持ちが悪い部分が多いと感じる。でも、かと言って別にどうということもない。何かしら変な面を持ってる人間なんて、オタクに限らずそこら中にいるからだ。
だから、オタクがキモかろうが別に問題なんてそもそもない。だけど、そうは言っても自分がオタクだということにコンプレックスを感じて、それこそ自虐すらできないってケースもあるようだ。(文:松本ミゾレ)
クリスマスにはアニメキャラに”ケーキをお供え”していたあの頃
2ちゃんねるに先日「昔のオタクってなんで自虐出来る余裕を持ってたの?」というスレッドが立っていた。スレ主は、本文中で「自分をキモいと自覚出来てたのはなんでなの?」と疑問を呈している。
また、スレッド内の「クリスマスはアニメキャラにケーキお供えして盛り上がってたよな」という書き込みに対しては「そういうところが好きだったんだけどな」と書き込んでいる。スレッドを立てた彼がオタクかどうかは分からないが、彼の言うオタクというのは、どうやら”クリスマスにアニメキャラにケーキをお供えする”人を指しているようだ。
この手の文化はせいぜい2000年代の半ばぐらいから、遊び半分でオタクがネットにアップするようになったもの。ニコニコ動画全盛期世代ぐらいのオタクかな。
とにかく、前述のような行動をするオタク。つまり、自分の気持ち悪さをある程度自覚して、それを笑いに変換してたいたオタクたちを今はあまり見かけない……というようなことを、きっとスレ主は思っているんだろう。
僕としては「そういうことを考えついてたオタクはそもそも少数派だし、そもそもスベッてるし、年月も経ったのでオタクを卒業したか結婚でもしたんじゃないの?」という気がする。でも、確かにいつの間にか「俺オタクだから~(笑)」みたいなノリで、オタクであることを自虐ネタとして引き出さないオタクが増えたようには感じられる部分はある。
スレッド内には、かつてのオタクが気持ち悪さを自覚できていた理由について推測する書き込みもある。
「なんでだかは知らんが確かに今60歳くらいの(注:オタクの)人が20年前に俺に馬鹿にされても笑ってたなあ」
「昔はアニメイトとかにこそこそ通って『同じ学校の奴に見られないかな?』とかビクビクしててオタクって隠すもんだったし蔑まれる存在だってのは自分が一番よく分かってた」
「昔のオタクは社会のはみ出し者であるって当事者意識をみんな持ってる奴が多かった」
「社会に横のつながりがあったから」
現在もオタクをやっている人にとっては、いろいろと賛否はあると思うけど、どれも理解できる。昔のオタクは、オタク趣味をバカにされても怒らなかったとかね。
かねてよりオタクは”蔑まれる存在”という自覚が、オタクにあったというのも大きい。約30年前、連続幼女誘拐殺人事件を引き起こした宮崎勤が、逮捕後にマスコミによって自室にあった大量のビデオテープの資料とともにオタクであったことは大々的に報じられた。
また、1995年に地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教の教祖、麻原彰晃もいくつかのアニメにハマっていたことは有名な話だ。これもまた、しばしばマスコミによって取り上げられ、オタクを直接名指しはしないが、遠回しな批判を生むことがある。
これらのせいで、事件と同時代を生きたオタクたちは、みんなつらい思いをした。こうした経験もあって、オタクであることを自虐し、周囲に対して「俺は危険な存在ではなくて、バカな趣味にハマッてる自覚もしていますよ」と思わせるという対処を講じるオタクもいたのである。
当時のオタクは自虐することで”無害”を主張していた?
まあ、昔のオタクが自虐を習得していたのは、裏返せばオタク差別の目が怖かったからっていう背景があるのだろう。今ですら「オタク(笑)」みたいな空気は残り続けているが、昔は本当に扱いがひどかった。
僕の2つか3つ上の世代なんて、オタク狩りだのオタクいじめだの、オタクの人権をガン無視するような行為もあったという。僕の高校の頃にも、同級生のオタクがなぜか学校に『ときめきメモリアル』のソフトを持って来ていて、それを見つけたクラスメイトにバカにされまくるということがあった。
「なんで持って来るんだよ」って話だけど、おそらく同じ趣味を持つオタク仲間ができて、そいつに貸そうとでもしていたのだろう。
とにかく、20年ちょっと前の当時はオタクがどういう扱いを受けるのか、自分の身をもって理解することが本当に多かった。今のオタクはスマホを介して直接的には傷付かずに周りの率直な意見を見聞きすることができるけど、昔はそういうものがなかったから。
自分の目と耳でオタクとはどういう扱いを受けるかを学んだわけで、だからこそ自虐する術をおぼえたものである。今、面と向かって自分のオタク趣味を否定されてしまうと絶句する人は結構いるけど、昔はそれをやり過ごさないと話にならなかったのだ。