成城石井の人気商品「プレミアムチーズケーキ」が誕生するまで | キャリコネニュース - Page 3
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成城石井の人気商品「プレミアムチーズケーキ」が誕生するまで

クリームチーズは季節や輸入時の状態によって水分量が変わるので、これもまた人の目で焼き加減をチェックする。

「シュトロイゼルにしても、他のケーキ職人ではまずこんなやり方ではやらないだろう、という方法でやっています。同じ材料を使っても、ちょっとした製法の違いで違うものになったりするんです」

それこそバターの温度ひとつとっても、ちょっと違えば食感の違いになるという。

「同じ配合でもまったく違うものになりますね。レシピがあれば、誰でもできると思われるんですが、そうではないんです。上のクッキーのところでも、分子レベルで見ると、小麦粉が油脂を包んでいるのか、油脂が小麦粉を包んでいるのか、これだけで違う。大きな機械で回しているとわからないわけですが、口に入れたときには油が先に来るか、ほろっとした食感が来るか、まったく違うわけです」

そこまでイメージして作れるか、ということだ。レシピがあったとき、そこまでイマジネーションを働かせることができるかどうかが、パティシエには問われるという。

「ミキサーで粉とバターを練るとき、ただ決められた時間ミキサーを回して練るのと、この粉とバターと砂糖がどんな状態でつながっているのか、考えながら混ぜている人とでは、できあがりはまったく違ってくるんですよ」

そして、そういうことがわかっていなければ、実はレシピは生み出せないのだ。

「プレミアムチーズケーキもレシピはシンプルですよ。でも、何もないところから、このレシピを作っていけるかというと、それは難しいと思います」

実は興味深いエピソードがある。後に大ヒットすることになるプレミアムチーズケーキだが、当初から絶賛されていたわけではなかったのだ。商品会議では、却下されるところだった。

「ボツになりそうだったんです。ところが、一緒に試食をした女性スタッフが、あれはおいしいから商品にしましょう、と言ってくれて。なんとか拾い上げてもらったんです」

発売後も、すぐにヒットしたわけではない。形状も、大きさも、見た目も、これまで見たことがなかったようなチーズケーキだったのだ。品揃えのひとつとしては支持されていたが、大ヒットとまではいかなかった。

大きなブレイクのきっかけは、2007年の東京・新丸ビル店のオープンだった。都心でもあり、感度の高い来店客が集まることを想定し、オープン記念に前面に押し出すと、なんと1日に1000本売れた。そこから口コミで徐々に徐々に広がっていったのだ。

「今も覚えていますが、プレミアムチーズケーキが出たばかりの当時、社長の原に聞かれたことがあったんです。どうしてプレミアムなのか、と」

プレミアムという言葉が世の中で広く使われる以前のことだ。

「それで答えたんです。レシピがプレミアムなんです、と」

ただ、それが世の中に伝わるには時間がかかった。

「だから、プレミアムじゃなかったものが、だんだんプレミアムになっていったんですよ。そんなストーリーがあるんです。そして、それは多くの方々が、さまざまに応援してくださったからだと思っています」

スペシャリテを作りたい、という夢が成城石井で果たせた。

「実際には、万人受けする味だとは思っていないんです。この味を受け付けない人もいるかもしれない。この食感、このカロリーはないだろうという人もいる。でも、万人受けするけれども特徴がないものは作りたくなかった。成城石井のケーキはこんな味だ、というイメージを作りたかったんです。逆に、らしくないものを作ったら、お客さまに申し訳ない。その思いだけは、ずっと持って開発をしていますね」

成城石井だからこそ、プレミアムチーズケーキは成立したのだ。

「過去に修行した店でこれを出しても、こんなことには絶対になっていない。もともとのお店の信頼と、お客さまのアンテナの高さが合っているから支持されているんです。成城石井だったからできた。それは間違いないですね。ここまで合致するとは、思わなかったんですが(笑)」

■著者プロフィール 上阪徹
1966年、兵庫県生まれ。早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年にフリーランスとして独立。経営、金融、ベンチャー、就職などをテーマに雑誌や書籍、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。これまでの取材人数は3000人を超える。

※本記事は上阪徹氏の著書『成城石井 世界の果てまで、買い付けに。 』(自由国民社)を再構成したものです。

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