「ゲームクリエイター目指して実現したけど残業続きでもう嫌」 子どもの頃の夢を叶えた人はどうなった?
僕は、恥ずかしい話だけど、子どもの頃は警察官になりたかった。つまり今の自分は、昔描いた夢とはかけ離れた人生を歩んでいるということになる。警察どころか、食い詰め寸前の物書き。これはえらい違いだ。
小さな子供だった頃の自分が描いた未来像。そのビジョンと現実との乖離の幅が大きければ大きいほど、ギャップもでかい。人によってはそれで苦悩したり、人生が嫌になってしまうようなこともあるのかもしれない。(文:松本ミゾレ)
「建築士になったが、思ったより儲からない世界だった」
先日、2ちゃんねるに「お前らって自分の小学校時代の夢だった自分の未来を現実化した?」というスレッドが立った。小学生時代の夢。その夢の未来絵図を現実にできたという人がいるならば、その人は夢に向かってちゃんと努力をしたということになるわけだ。
これはまさに素晴らしい人生を歩んだということになるだろう。努力は人をひときわ輝かせる。スレッドには夢を叶えたという声がちらほら見受けられた。いくつか紹介してみたい。
「ゲームクリエイター目指して実現したけど残業続きでもう嫌だ。ディレクターになってもプロデューサーになっても作りたかったゲームなんて作れない」
「実現したけど、なるのよりなってからが大変だった(科学者)」
「実現して医者になったが、毎日看護師にイジメられるし、クレーマーの母親にこっちの都合お構えなし電話攻撃受けるし、二日徹夜して命を取り留めた患者に助けて当たり前顔で話されるし、後悔してる」
「建築士になりたくて建築士になったが、思ったより儲からない世界だった」
ううむ。夢は叶ったものの、あんまりしっくり来ていないという人もいるようだ。でもちゃんと自分の抱いた理想を実現させているのは、凄いことだと思う。大抵は脱落するか、そもそも子供の頃の夢をいつの間にか忘れてしまっているわけだし。
「海洋学者になりたかったけど頭が悪くて無理だったw」
一方でこのスレッドには、夢を現実にできなかったという書き込みもある。どちらかと言えば圧倒的にこちらの声が多い。読んでいて悲しくなるかもしれないけど、一部だけでも紹介したい。
「トレンディドラマの主人公をイメージしてたけど田舎の工場で小汚ない作業着で働いてる」
「普通にリーマンになって普通の家庭を持つ予想だったが。社会の底辺で単身這いずり回ってる」
「海洋学者になりたかったけど頭が悪くて無理だったw」
子供の頃の夢は、やっぱりただの夢。叶えることはできなかったとする声は多かった。当たり前かもしれないけど、それでも他人事ながらしんみりはしてしまうものだ。
でもまあ、今回このスレッドに寄せられていた意見なんかを見てみると、夢が叶ったところで必ずしもそれが幸せに直結するわけでもないことも見えてきた。人間、願望を成就させてもそれで人生がハッピーエンドで幕を閉じるわけでもない。
実際には夢を叶えてしまうと、見えなかった現実的な困難が次々に見えてしまうようになって、嫌気がさしてしまうものなのかもしれない。夢が叶わない人生って、そう考えればある意味救済なんじゃないだろうか。