甲子園大会中止、プロ野球選手になれなかった自分が高校球児に伝えたいこと

想像もしなかった出来事は突然やってきます。実は16年前の筆者も似たような経験をしました。2004年、僕のNPBへのラストチャンスとも言える24歳の年に、日本ハムファイターズのプロテストを受けました。

最終テストは二軍の紅白戦に加わって試合を行い結果を残し、あとはドラフト会議で指名されるのを待つというところまでいったんです。

でもその年はプロ野球再編問題が起きた年。プロ野球史上初の選手会ストライキあり、球団消滅、新しく東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生するということで分配ドラフトが行われました。そのせいでテスト生枠も消えたと噂がたち、僕はドラフトで指名されませんでした。

もちろん僕にあふれんばかりの野球の才能があれば関係なかったのでしょうが、「分配ドラフトさえなければ」「育成枠があったら」と思いました。世の中に原因があるから夢が叶わないんだと。今思えば、ダサくてカッコ悪い言い訳ですね。

甲子園大会の中止は不可抗力での出来事なので、僕のこの経験と重ねるのはおこがましいかもしれません。でも、この”起きた出来事をどう捉えるのか?”でその当事者の未来は二分化すると思うのです。

「あの中止のせいで」と考える人と「あの中止があったおかげで」と考える人

起きた出来事は変えられません。でも、唯一できることは”起きた出来事の解釈を変えること”です。例えば僕の場合、今となっては「プロ野球選手になれなくてよかった」とさえ思っています。なぜか? それは今が楽しいから。

なにか起きた時に、解釈は2つにわかれます。起きた出来事を肯定的に捉えるのか、否定的に捉えるのか。プロ野球選手になれなかった(最終的には独立リーグというプロにはなりましたが理想ではない)僕は、当初それを否定的に捉えました。

その時の自分の状況が悪かったし楽しくなかったからです。でも、今楽しいこの時は肯定的に捉えられる。

つまり、この前代未聞の夏の甲子園大会中止を目の当たりにした高校球児は、この先の未来「あの中止のせいで」と考える人と「あの中止があったおかげで」と考える人と二分化するということです。

僕は、できることならば「甲子園大会が中止になったけど、あの思いがあるから今があるんです」そういう人生を送ってほしいなと思います。そしてそう思うためには必要なことがあります。

答えのないものと向き合い続け問い続けることで「あの出来事があってよかった」

自己を開示したり、自分を認知し理解したりすることでカタルシス(心の浄化)が起きるとされています。今、「大丈夫。甲子園がすべてじゃないよ」などという言葉は到底かけられる言葉ではありません。

当事者の球児は今は苦しいし、悔しいし、悲しいし、そんなような気持ちが複雑に絡まっていると思います。でも、逃げてはダメです。その気持ちと向き合って欲しいんです。人は苦しいことが起きると逃げたくなります。

だから飲みにいったり、旅行にいったりして紛らわそうとします。高校生も友達とハメを外して遊びたくなるかもしれません。でも、逃げずにモヤモヤと向き合ってほしい。

答えのないものと向き合い続け問い続けることで「あの出来事があってよかった」という肯定的な未来に出会えます。理解して認められるようになるんです。何を隠そう、僕自身がそうだったから。

有名なプロ野球選手でも、野球経験のある著名人でもない僕が言っても響かないかもしれません。でも、失敗した僕だからこそ言えることもあると思っています。その悔しさと向き合い続ければ未来に答えのようなものが見つかるから。

著者近影

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【筆者プロフィール】ちばつかさ

合同会社komichi代表。柔道整復師、こころと体のコーディネーター、元プロ野球独立リーグ選手。東京と福井で投げ銭制の接骨院を運営しのべ10万人近くの心と体に向き合ってきた。野球経験とコーチングの経験を活かし都内で”野球を教えない野球レッスン”を運営。レッスン卒業生がU12侍ジャパンの代表に選出された。現在、心理学を学ぶため、アラフォーで大学在学中。【公式サイト】