トピ主の職場は女性が多く、引き継ぎは口頭か、まさに“察する”ことで行われ、明確なマニュアルがほとんど存在しないという。
「察するを中心にして回ってるので、気付かないかぎりフォローを欲しているのも分からないしミスもします。自分の仕事が済んでやっと一息ついたのに、忙しいの分からない?と言われてる人を見かけてすごい可哀想でした。じゃあ事前に依頼しろよって」
このように状況を察することができないと、まるでサボっているかのように責められてしまうらしい。この文化が原因で「10何人も脱落した部署もあった」と明かし、「マニュアル作ればいいのに」と、その不条理を嘆いている。
「察してちゃんて、他人の気持ちは察してくれないよね」
この問いかけには、まず共感コメントが相次いだ。「アリな人いなくない?」「ありです!って言うのは察してちゃん本人だけでは」と、そもそも「察して」という要求自体を問題視する意見が大多数だ。
「察してちゃんて、他人の気持ちは察してくれないよね」
「言ってないけど、察することは出来たでしょ?って。そんな仕事の仕方あるか?」
「察してなんて不確定なやり方では回らないよー!常に誰かの我慢で成り立っている」
など、手厳しい声が並ぶ。明確な指示をせず、相手「気付き」を求めるやり方は、無責任だし甘えでもあると考える人が多いようだ。
一方で、時と場合によるという意見もある。
「さすがに部署みんながバタバタして残業してるのにサッと定時に帰っていった新人には察しろよと思った…」
似た意見では、急な来客で部署内が慌ただしくなったとき「普通に時間通り休憩入った新人とか見たら言わなくてもわかるだろ~!」と思ったという声もあった。確かに、そういうとき進んで協力する新人は先輩に可愛がられそうだ。
しかし、この「定時退社」をめぐる“察して”問題には、「そら自分の仕事が終わってるなら帰るやろ」「時代錯誤だよ」という反論も多数寄せられた。休憩などは労働者の権利であるだけに、それこそ「察して働け」という理屈は、もう現代では通用しないのかもしれない。
また、相手に求める「察して」と、自発的な「気遣い」は別物だという指摘もある。
「察するっていうか、周り見て忙しそうなら声かけて手伝うとかいう心がけは必要だと思う」
これは相手に「察して」と期待するのではなく、自ら周りに目を配る能力の話だろう。ただ、トピ主が言うように、よく気が付く人に仕事が集中するようでは、体制に問題があると言えそうだ。
業務上の指示は、やはり誰が聞いても同じように理解できる「言葉」や「マニュアル」で伝えるほうが、トラブルが少なくて済む。それをしないのは、ある意味コミュニケーションの怠慢ではないだろうか。


