ブラック企業をなくすためには不便さに寛容にならないとダメ? 「土日営業してなくても文句をいわない」
前置きが長くなってしまった。先日、ツイッターで、ギクリとしてしまう書き込みを目にした。
「ブラック企業をなくしたいなら、社員にまともな賃金を払っている、適切な労働時間を働かせていることによって生じる不便さに寛容でないと
『土日休みなんで納品までにもっと時間かかります』『定時過ぎたんで会社もう閉めました』と言われて文句言う人は、言ってみれば『ブラック市民』ですよ」
これ、もうホントにごもっともな言葉だ。「もっと営業時間を延長すべき」とか「今すぐ家に来て家電の設置してほしい」という願いは、ユーザーなら確かに持っているもの。
しかし、対応するのもまた人なのだから、便利になればなるだけ、彼らは労働に拘束されることになってしまう。
ネット通販も、24時間サポートも、20年前にはほとんど皆無に近いものだった。コンビニだってまだまだ少なかったし、今のように便利なサービスも取り扱っていなかった。人間の慣れって本当に罪だなぁと思う。
当たり前のことが当たり前過ぎて、感謝することを忘れてしまった消費者たち…
ツイッターでも、このツイートには賛同の声が目立った。いくつか反応を引用してご紹介していきたい。
「誰かが何かを得る一方で、誰かの時間が失われてる。便利を当たり前と思っちゃいけない、あたしも気を付けよう」
「実際これ。消費者が利便性を求めるあまり企業がブラック化してるってのは大きいと思う」
人の欲望って際限がないもので、ついつい「ああいうサービスもほしい」「もっとユーザー目線で」と思うけど、結局余剰サービスと呼べるものも多い。ましてその利便性の下敷きになっている労働者もいるわけだし、もう少し不便に寛容にならなければという意見は理解できる。
サービス提供者も消費者も共ににブラックな未来は御免被りたい…
今、世の中は過剰なまでに便利なサービスで溢れている。いずれも消費者のニーズがあるからだけど、こうしたサービスがあることは、サービス提供者の”時間”を奪っているということでもある。
そしてサービスを受ける消費者もまた、ブラック企業に勤めているなんてケースもあるだろう。長時間の残業で消耗をしているため、せっかくの休日に買い物をしようと思っても、その体力がないということだってあるはず。
そういうときに利用するのが、便利な24時間対応のネットショッピングだとしたら、これはもう需要にあずかる者、供給をする者、どちらもが疲弊をするブラックの輪廻だ。
このまま消費者が「もっと便利に!」という欲求を募らせ続けると、便利な世の中にはなるかもしれないが、結局疲弊する人が増えるだけだ。どんな便利なサービスも、最初は存在しなかったもの。現状で十分すぎるというか、もう少しだけ不便な社会になったって良いように思うんだけど、こういう進化はきっと止まらないんだろうなぁ……。
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