「個性的に生きる」ことの難しさ語った投稿話題 「大槻や椎名」にハマってもサブカル典型例でしかない
「大槻や椎名」は恐らく、サブカル界隈で人気のある大槻ケンヂさんと椎名林檎さんを指しているのではないかと思われる。メジャーではないものを好きになると、「自分だからこの良さが分かる」と思いがちだ。
しかしそう思っている人は何百人、何千人といる。投稿者の言う通り、
「自分には何か特別な能力がある、そう信じて、たとえば小説なんかを書こうとして挫折するなんてことは世の常だ。実際は思考は凡庸だし、趣味もどこか他人と似通ってしまう」
ということも往々にしてあるだろう。
では、どうすればいいのか。投稿者は2つの方法を提示する。1つ目は「自分の個性なんてそんなもん、とどこかであきらめて平凡な一個人と認識して人生を歩む」という方法。そして、2つ目は「個性や、その発露という共同幻想みたいなのを取っ払ったうえで個性的にふるまう」という方法だ。
一般的に「個性的」とされるものから距離を置いた上で、平凡にも陥らず、自分の道を貫く、ということだろうか。
個性は最初から備わっているもの? 有益性がなければ個性じゃない?
はてなブックマークでは「モブであることを受け入れるのも良いこと」と投稿者の示した1つ目の方法を支持する声もあったが、そもそも”個性”とは何だろう。
「そこそこいい物(仕事の成果でも芸術でも)を作れれば個性的になれるんじゃないかと考えてる」
「仕事でも、音楽でも、ファッションでも、 磨いて、磨いて、磨いて、認められるようになって、それでも、ににじみ出てくるものが個性じゃないの?」
個性は最初から備わっていると考えている人も少なくはないが、社会的に認められた才能や、後天的に身に着けた有益性のあるものが”個性”と考えている人もいるようだ。しかし、有益性がなければ個性ではない、というのは窮屈な気もする。
「個性派ブームは10年前には終わってた感。それ以降はそれが良いならマッタリとにかく好きなようにやれば?って感じじゃないかな」
最近はインターネット上で文章やイラスト、音楽などを発表できるので、昔に比べると個性を発揮できる機会は増えている。自分のペースで好きなように何か活動すれば、”個性”などというものに振り回されず、のびのび生きることができるのかもしれない。
ちなみに、本文中にあった「大槻や椎名」に関しては、大槻ケンヂさんと椎名林檎さん以外に、「椎名へきるさんと大槻義彦教授」「大槻唯さんと椎名法子さん」を連想した人もいたようだ。
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