「東京にいても良いことない」と自嘲する都会人は寂れてしまった地方の実態を知らない
都会と田舎。住むならどちらがいいのか。あなたは考えたことがあるだろうか。僕は田舎者だが、どっちかにしろと言われれば10対0で都会に住みたいと答えるだろう。だってもう、交通の便が全く違うし、娯楽の数も段違い。その上仕事をするにも田舎より選択肢が多い。
これは僕個人の考え方に過ぎないので、異論は多くて当たり前。僕と同郷の友達の中には「田舎が一番だ」とUターン就職した奴もいる。また、生まれも育ちも東京の知人は「田舎って憧れます」とか言っているし、人それぞれ意見が違うものなのだ。
ただ、やっぱり僕は田舎で暮らすというのは、場合によっては本当に耐えられないものであるということは、声を大にして言いたい。(文:松本ミゾレ)
田舎も東京も、それぞれに致命的な弱点を抱えているとは言うが…
先日、2ちゃんねる改め5ちゃんねるに「田舎者『東京に住みたい!!』東京人『東京にいても良いことないよ?』」というスレッドが立ち、田舎派と東京派で議論が行われていた。田舎推しの人からはこんな声が出ていた。
「山に住んでるが毎日静かで快適だわ。この生活に慣れたらもう東京には戻れない」
「田舎人だが東京みたいな空気は汚いわ飯は不味いわ景色は無いわ、ゴミゴミしたとこに行きたいと思ったこと一回もない」
たしかに、田舎は人がいないから静かだ。それは間違いない。一方でやっぱり東京がいい、という人も多い。
「老後は田舎でのんびりしたいとか言ってる都会人も間違ってる。田舎は病院が少なくてどこも混んでて医療レベルが低い」
「東京住んだら皆優しくて人情あって驚いたよ。下町だったからかな。東京はよそ者にも優しい」
このように、都会の良し悪し、田舎の良し悪しなどがいい具合にバランスよく並んでいた。
田舎も都会も、どちらに住むにせよ、メリットとデメリットは存在しているので、結局どちらが素晴らしいということもないのだ。
ある地方都市の没落…衰退を急がせるのはいつの世も地元の馬鹿な有力者
僕は、宮崎の北部にある工業都市で生まれ育った。工業都市と言ったって、今や人口は10万人を割る勢いの寂れた町だ。
だけど、昔から寂れていたわけじゃない。元々そこは城下町。僕がまだ小さくて可愛かった頃……もう30年近くも前のことになるけど、間違いなく当時は今よりも地元は活気付いていた。
まだ若い人も大勢町に残っていた。デパートもあった。たまに祖母と一緒にバスを乗り継いで出向いては、家が貧乏なのに怪獣ソフビをおねだりして困らせたものだ。夏祭りともなれば出店もいっぱいあって、本当に楽しかったものだ。
しかし徐々に凋落の一途を辿ることになる。数十年後の地元の発展を願った革新派が唱えた、駅前再開発。それを地元の商店街の面々が目先の利益のために断固阻止して、今で言うデモを起こして頓挫させ、同時に、かつてはかなり勢いのあったダイエーの誘致にも反対した。
ところが地元の商店街が寂れてくると、今度はこれまで町の発展を阻止し続けてきた面々がダイエーを無理矢理呼び込むという恥知らずっぷりを披露する。そのダイエーもようやく町に来た頃には落ち目になっていて、結局5年で撤退。跡地は何年も放置される有様。
このとき、折からの不況と若者の県外流出もあって地元に残っていたデパートも撤退し、中心通りは一気に閑古鳥が鳴くことに。かつて再開発構想を反対し続けてきた駅前商店街はとっくのとうにシャッター通りで猫も通らない寂れ具合ときたものだ。
都会生まれ、都会育ちの知人はしばしば言う。「ミゾレちゃんの地元に遊びに行きたい」と。
そんなとき僕は、胸を張って「おいで」と言えないほどに廃れきった地元を思って悲しくってたまらなくなる。
東京で暮らしたこともある、いち田舎者として書かせてもらうが、都会の人たちは田舎の「終わってる感」を本質的に分かってなさ過ぎる。こんなケースは別に珍しくはない。発展し続ける町もあれば、僕の地元のように腐る一方の町もたくさんある。
そして腐り続けている町には、偏屈な老人の作った意味不明なルールが横行し、とてもじゃないけど余所者が穏やかに暮らすことなんかできない。
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