「村上春樹が好きだと言いづらい」の投稿が話題 「ハルキストはめんどくさい」「好きと宣言するか死ぬか」
投稿者は転職をしたばかりの社会人。村上作品に入れ込んでいるようで、入社時の自己紹介で「村上春樹が好き」と言ったという。
ある日、職場の人たちが『騎士団長殺し』について話しているのを耳にした。しかしその内容は「そういえば新作出たねー。まあ全然興味ないけど」「1冊も読んだこと無いっすね…」というものだった。そこに居合わせた投稿者は「この人たちは自分の春樹好きを分かって言っている」と思い、
「ハルキストほどじゃないですけど、自分は春樹好きです」
と、会話に入ろうとした。しかし得られたのは「ほー…」という反応のみ。それ以上何か聞かれることはなかった。これに、投稿者は「他にもっとうまい言い方があっただろうが、ただでさえ馴染めていない職場の人たちと断絶が深まった」と感じたという。その上で、
「なぜ『村上春樹が好き』だと言うことに引け目を感じてしまうのか」
と疑問を顕わにした。初対面の人と「野球」「政治」「宗教」の話はするなと言われているが、投稿者にとっては「村上春樹」も食い込んできている気がしているそうだ。
「ハルキストほどじゃないけど春樹好き」の面倒くささも一因に?
この投稿に関して、はてなブックマークでは様々なコメントが寄せられた。「○○を好きだと言えない」というのは必ずしも「村上春樹」に限られないようだ。
「星野源がそれ。 曲とか好きだったはずなのに、好きだったのかわからなくなる。 氏名を言葉に出すのも憚られる」
音楽でも映画でも、趣味に関することは自意識が邪魔をして言えないという声も上がっていた。現に、このコメント欄で一番多かったコメントは村上春樹云々より「投稿者の自意識が過剰すぎるのでは」というものだった。
「そりゃ、たいがいの趣味はそんな反応でしょ。皆が興味持ってて当然とか思ってない?」
一方で、村上春樹好きが敬遠される理由は、その作品の性質にある、という指摘もある。
「一言でいうと大体『やれやれ。僕は射精した』って話が多いからかな…」
非ハルキストの中には、村上作品の無気力と捉えられかねない主人公の性格や、若干気取っているような文体が気に食わない人もいる。そのため、村上作品が好きな人は変わっている、と思われがちなようだ。
投稿者の「ハルキストほどじゃないけど春樹好き」という矛盾した言葉についても「村上春樹にまつわる諸々のめんどくさい感じが実によく見えてくる気がする」という意見もあった。
ハルキスト「それでもレコードをバックにパスタを茹でながら生きようと思っています」
世の中の村上春樹好きは、この風潮についてどう思っているのだろう。編集者のMさん(27歳・男性)は、
「別に春樹好きって言いづらくないし、春樹をほぼ全部読んでいる人だってそれを主張しないで静かに生きていますよ」
と語る。全く意に介していないようだ。一方で、ライターのTさん(24歳・女性)は「言いづらいよ! とても!」と嘆く。
Tさん曰く、村上春樹を嫌いな人はことごとく毛嫌いしているから言いにくい。また自分が村上春樹好きであることを控えめに言ったとしても、周りが勝手に「ハルキスト」像を押し付けてくるという。
「実際周りの人には春樹好きは気取ってる、薄っぺらい、文学分かってない、スタバでドヤ顔してるみたいなイメージを持っている人が多い。『パスタを茹でるときはレコード流すんでしょ?』とか『春樹好きってことは御朱印集めとかも好き?』って言われることもありますね」
もはや風評被害だ。Tさんはこうした風潮に、「春樹を好きと宣言するか死ぬか、みたいな感じがある」と感じることもある。
「確かに春樹が好きと公言するのは辛い部分もありますが、それでも私はレコードをバックにパスタを茹でながら生きようと思っています。オリーブグリーンのコットンシャツにテニス・シューズでね……」
その上で、こうしたハルキストのどうしようもなさを自覚しているようで、「間違いなく春樹好きなやつは面倒くさいです。間違いない。春樹好きとラーメンズ好きはマジで駄目」と語っていた。まさに「やれやれ」だ。
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