「50歳過ぎてもゲーム楽しい」気持ちの若さに羨望の眼差し「生涯の趣味を見つけたら勝ち組」「俺も60になってもやっていたい」
趣味は人生をより楽しく過ごす上で欠かせない要素だ。しかし、年齢を重ねるごとに趣味に注ぐ熱量が下がってしまう傾向も、少なからずある。何事も面倒に思えて、新しいコンテンツの模索をしなくなり、昔から好きなものしか楽しめなくなってしまう自分に気づく瞬間、誰しもあるんじゃないだろうか。
趣味への強烈なこだわりが鳴りを潜めていき、悪く言えば無頓着になっていくのが、中年以降の趣味全般に共通する特徴だと僕は考えている。が、必ずしもみんながみんなそうなるわけでもない。中には、50歳を過ぎても真剣に趣味に没頭し続けられる人もいる。(文:松本ミゾレ)
配偶者は「モンハンワールドにハマってた」スレ主の趣味にも理解
先日5ちゃんねるに「50歳過ぎてもゲームが辞められないんだがw」というスレッドが立った。50代のスレ主は、未だにゲームを楽しめるせいで友人に散々馬鹿にされるという。でも、当人としては辞める気はさらさらないようだ。
ちなみにこの男性は既婚で、奥さんの理解もちゃんと得ている。家族に理解されない趣味に没頭しているわけでもないようなので、これはこれで理想的な人生のように感じる。というか、奥さんもゲームに造詣が深いようで「モンハンワールドハマってた」らしい。
正直、僕はこのスレ主が羨ましい。ゲームなんてそれこそ高校ぐらいまでは、熱心に、目の下にクマ、頭には10円ハゲが出来るほど熱中したものだけど、20代の半ばぐらいには、ゲーム機本体の電源を押すことすら億劫になってしまった。今年初めには「モンスターハンター:ワールド」が面白いと感じたけど、最後のモンスターを討伐したら急速にやる気が失せた。
その後も追加コンテンツが次々に発表されているけど、恐らくもう遊ぶことはないだろう。それだけにこの50代のおっさんの熱量は、眩しい。
一定の熱量を注ぎ続けられるのも1つの才能?
さて、今回紹介したスレッドにおいては、他のネットユーザーも複数人書き込みをしているんだけども、大抵は肯定的なコメントで、ネガティブな声はほとんどない。
「楽しんだもん勝ち。もう段々楽しくなってきてるからいよいよもって人生の楽しみがなくなりそう」
「生涯の趣味を見つけたらもう人生勝ち組よ」
「楽しめることができて羨ましい。俺も60になってもやっていたい」
まあ、人が楽しんでいる趣味をわざわざ否定するなんて野暮なので、肯定的な声が多いのも自然と言えば自然。僕としてはゲームに没頭できる中年にはなれなかった負い目みたいなものがあるので、このスレ主にはある意味で尊敬に近い念を抱いてしまう。やっぱり本来楽しいものであるゲームを、億劫に感じるようになるって、悲しいことだと思う。
まして個人的には自分がゲームを敬遠するようになるなんて、若い頃は思ってもみなかった。まさか自分が、取り逃したアイテムを手にするためのニューゲームをも辞さないようなゲーム観の一切を、放棄してしまうとは考えてもいなかった。
楽しいものを面倒に思わず、同じ熱量で長く楽しむのもまた才能なのかも知れない。