【天気の子】前評判が最悪だった本田翼の演技 実際に観たらキャラにしっかりとハマっていた | キャリコネニュース - Page 2
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【天気の子】前評判が最悪だった本田翼の演技 実際に観たらキャラにしっかりとハマっていた

前作の『君の名は。』がファンタジーをベースにした男女の恋愛物なら、『天気の子』はファンタジーをベースにしたジュブナイル物だ。映画の冒頭、主人公が小説『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を持っているシーンからもそう解釈できる。

どんな作品でもそうだが、作品のテーマを描く上で「主人公の葛藤にどう共感してもらうか」が重要になる。特にファンタジー要素のある作品で主人公への共感を呼ぶためには、観客に、主人公が自分たちと近い存在であると思わせなければならない。人物のリアルさ、現実に存在しそうな感じをことさらに強調しなければ、通常の生活ではありえない行動をした場合に「そりゃフィクションだもんな」で終わってしまう。

そうした「主人公たちのリアルさ」を作るために、新海監督のお家芸であるリアルな背景描写は充分活かされた。監督の背景描写については今更言う必要もないが、今回の作品で描かれたのは、ひたすら美しいだけの今までの背景とは少し違う。

『君の名は。』で描かれた東京がある種、観光地的な「良いとこ取り」の東京だったのに対し、『天気の子』で描かれたのは東京で暮らす人が日常的に見る風景だった。『君の名は。』の東京は綺麗だったが、『天気の子』と比べた時、どちらが観客にとってリアルかと言えば、圧倒的に多くの人が『天気の子』を選ぶと思う。眩しいネオンや道に散乱したゴミ、「バーニラバニラバーニラ求人」のトラックが走る様子など、カオスではあるが実際の東京そのものだ。

こうした風景描写の中で帆高たちは、現代人なら誰もが知る歌謡曲を歌い、誰もが知る企業の商品を使う。そして、帆高の周りの大人である刑事の「安井」や「高井」は、帆高の行動や主張に、現実的な方法で対応する。これらの描写の積み重ねは、観客が主人公をフィクションのキャラクターではなく、身近な存在として感じられるよう計算されたものだったのかもしれない。

葛藤の最中にいないキャラクターたちが皆「上手い」演技だった理由

そして、人物のリアルさを演出する上でキャラクターの声は重要だった。これだけリアルな舞台装置が用意された中で主人公らの声が上手でスマートな演技だったら、かえって浮いたことだろう。共感してもらうためには、多少不器用でも素のような演技が必要だったのだ。

本田翼の演じた夏美は登場人物たちの中で、主人公たちと似た立場の人間として描かれている。確かに、滑舌が不明瞭な箇所もややあったが、高めのテンションや癖のあるイントネーションなど、「こういう大学生見たことある」と思わせるものがあった。

予告編では本田翼の演技ばかり注目され酷評されたが、映画を見ると、帆高や陽菜の演技もどちらかと言えば本田翼のような、素に近い演技だった。ただ、声の情報量が少ない分、キャラクターの仕草と声を合わせて観ると、キャラクターたちが実在するかのような印象になった。

作品を振り返ると、主人公である帆高と陽菜、2人に近い立場である夏美、そして須賀の4人以外は、キャラクターとして「演技らしい演技」をしていた。陽菜の弟の凪は、『ピーターパン』などの舞台経験のある吉柳咲良、凪の友人には、花澤香菜と佐倉綾音が声を当てている。刑事の「安井」は平泉成、「高井」は梶裕貴、下町の老婦人は倍賞千恵子と、錚々たる顔ぶれが名を連ねる。

つまり、事前に「上手い」と評価された人や、一般的に「演技が上手」と言われる人達が作中で演じていたのは、青年期の葛藤をまだ知らないか、葛藤を通り越し、大人たちの世界に歯向かわない存在としてのキャラクターだ。作品のテーマを俯瞰した上で配役や演技を振り返れば、「なぜ夏美の演技はこんなに下手なのか?」という違和感は、監督の狙い通りの反応だったのではないかとも思う。

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