相談者は、「受験するなら小さな頃から年中公園で遊んでいられません」として、
「可哀想って、何が可哀想なんでしょうか?」
と疑問を投げかけています。
この相談は2万5000以上閲覧され注目を集めました。今の子どもは少子化の上に塾や習い事で忙しく、友だちと遊ぶ機会は少ないもの。若いママの言う意味も分かりますが、回答は「若いママさんが失礼」「ほっとけ!って感じ」という意見が大半でした。相談者は返信に、夏休みは中学のお友だちが遊びに来たことや、「電車もある時代に……」などと呆れた気持ちを書き、こんな考え方を吐露しています。
「大学に行けば全国から集まりますしね(中略)主人も大学時代、社会人、主人のステータスにあった友人がいます。地元で同じステータスを望むのも良いですが、他人はほっといてほしいわね」
さらに「可哀想って言われる筋合いが無いというか、親と同じ生活を望むなら、それなりに勉強しないと」とのこと。よほどステータスの高いご家族なのでしょう。
「可哀想」と言われたことは、信念をもって励んでいる教育方針にケチをつけられたと同じ事。しかも、相談者は相手を「お金もなさそうなので、園庭解放や公園で遊ぶくらいみたいですけど」と評していますから、下に見ている相手に口出しされ、かなり腹が立ったことでしょう。
「教育格差」があっても「やむをえない」と考える人が6割の中で
ベストアンサーは、若いママが特に間違っているとも思わない、としつつ
「それを他人に押し付けたり、かわいそうだと決めつけたりするのは、とても失礼な話です」
という回答です。そういう人とは「心の距離を置いて接すれば良い」と助言しており、確かにその通りです。
一方で、「相談者さんのようにステータスという言葉を使う方が苦手」という人もいました。この人は、ステータスが高い幼稚園を薦めてきた人に辟易した経験を明かしていました。
この相談の場合、先に価値観を押し付けてきたのは「若いママ」なので、相談者は被害者のように見えます。しかし個人的にうがった見方をすると、相談者にも「ステータス」を鼻にかけた言動があったのではないでしょうか。いずれにせよ、他人の子育てに異論を唱えて有難く思われることはほぼありませんから、余計なことは言わないほうがいいと感じます。
「一億総中流」と言われた時代は去り、親の経済力によって「教育格差」があっても「当然だ」「やむをえない」と考える人が6割を超える時代です(朝日新聞社とベネッセが2018年にまとめた意識調査)。同じ地域に住んでいても、こうした価値観のズレによる摩擦は、今後増えてくるのかもしれません。