「『出来栄えはどうか』『完成度は高いか』『美しいか』『値段はいくらか』といったことに目が行くのでないでしょうか。でも、”アート”という植物全体を考えた時に、それは地上のお花の部分でしかありません」
アーティストにとって重要なのは、むしろ地下にある種から根の部分。地下にあるのは”興味のタネ”で、このタネからは”探求の根”が伸びている。末永さんは、
「タネはアーティスト自身の興味なので『これが好き』という強い興味もあれば、『これって一体何なんだろう』『何かこれって引っ掛かるな』という疑問、興味もこれに含まれると思っています」
興味や疑問は、大人になると見逃してしまうケースが多いという。「ちょっと引っ掛かっても『まあそういうこともあるよね』とそんな感じでフタをしてしまうと思います」と続けた上で「アーティストは違って、自分の興味が少し動いたことにトコトンまで追求していく。それがこの根っこです」と解説した。
そこで、例に挙げたのがピカソの代表作「アヴィニョンの娘たち」。今でこそ20世紀のアート界に大きい影響を与えた作品に選ばれるような名作だが、ピカソは作品が完成してから発表せずにアトリエに保管していたという。末永さんは、
「ピカソの言葉の中に『冒険こそが私の存在理由である』というのがあって、この言葉から考えてみても、やっぱりお花、作品でなくて、自分の興味から探求していく過程、そこがアーティストにとって重要なのかなと思っています」
鑑賞とは「アーティストの意図を”読み解く”こと」ではない
特別授業の前半は、ホテル内に展示された作品の鑑賞を通じて行われ、まずは参加者たちが直観的に「いいな」と感じる作品の前に行き、気付いたことや感じたことを共有した。
続いて、末永さんは参加者に「なぜそう感じたのか」「どこからそう感じたのか」を問い掛ける。最終的には、参加者が自ら作品から感じ取ったインスピレーションを元に、100文字のストーリーを作るというものだった。
末永さんは20世紀のアーティスト、マルセル・デュシャンの言葉を引用して「『作品はアーティストだけによって作られるものではない。見る人による解釈が作品を新しい世界に広げてくれる』というものがあります」と作品鑑賞の意義を説明する。
「アーティストは絵を描いたり、ものを作ることによって”作品を作っている”。これは当たり前ですよね。でも、鑑賞者は何をするか。そのアーティストが作ったものを『こういうメッセージを込めたのかな』『こういう意味があるのかな』って読み解くだけではなくて、アーティストの意味とはまったく離れたところで作品とやり取りをします」
鑑賞者の『見る』『解釈する』といった行為もまた作品を作っていると言えるのはないでしょうか、と続ける。「アーティストと鑑賞者が50対50で作品を作り上げる。こんなイメージで、作品に向き合ってもらえればなと思います」と話した。
末永さんいわく「あまり好きではない」というのもまた、興味のタネの一つという。末永さんは「人は答えを得た時に成長するのではなく、疑問を持つことをできた時に成長する」という彫刻家、外尾悦郎さんの言葉を引用し、
「『ちょっと好きじゃないな』『嫌だな』という違和感は、実は疑問を与えてくれる作品でもあると思います」
と話す。参加者たちは作品から気がついたこと、感じたことのほか、「好きでない」と感じた理由を考えた上で、自分なりの”問い”を作っていた。
「自分で答えを作ってみる、自分の答えを持つことを意識してみてほしい」
後半は、フリーランス協会の平田麻莉代表理事、ホテル支配人の山森薫さんを交えて、パネルディカッションを開催。平田さんが、普段は美術教師を務める末永さんに「末永さんが教えてらっしゃる生徒たちも、みんながアーティストになるわけではないと思うのですが、仕事でどう生かしてほしい、どんな風に働いてほしいという思いはありますか」と質問を投げかけると、
「私は”アーティスト”が職業の名前だとは思っていません。絵を描いたり、作品を展示する人では絶対にないと思っていて。逆に言えば、職業名はアーティストだけど、やっていることは花職人という方もいるかもしれません」
と答える。さらに「クライアントワークばかりやる会社員、職人でも、実はアーティストっていう人がいておかしくないです」と続け、すべての人がアーティストになり得るとした。生徒に対しても「美術って、画家や彫刻家になるための勉強じゃなんだよ」と伝えているという。
さらに、末永さんは「正解を見つけるとか、答えをどうやって探すかというトレーニングは学校生活の中でしてきて、みなさん長けていると思います。会社に入ってからも、そういうことばかりやっている方も多いかもしれません」と参加者に問い掛ける。
「でも、自分で答えを作ってみる、自分の答えを持つことも意識してみてほしいです」
と述べ、特別授業を締めくくった。