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新卒女子の私が『ミステリと言う勿れ』にドハマリした理由 語りたくてたまらない

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フジテレビ系「月9」枠で放送中のドラマ「ミステリと言う勿れ」が、毎週楽しみで仕方ない。

原作からの大ファンとして、大事な登場人物がドラマではいなくなっていたり、あの人が言うはずのセリフをこの人が……みたいな事態に日々雄叫びを上げながらも、ドラマのテンポ感もそれはそれで面白くてなんだかんだ楽しみにしている。(文:HOKU)

そんな、ごくごく普通のファンなのだが、ドラマが始まってからも5回は原作を読み返し、まだ読み足りないなぁ、という気持ちでいる。仕事の合間に「ミステリと言う勿れ、新刊はいつ発売!?」みたいな胡散臭い記事をクリックしてはため息をついてしまう。ここまで来ると、まるで恋煩いだ。

作品の内容をざっくり説明すると、これは久能整(くのう・ととのう)という名前のぼんやりした天パアフロの大学生が、周囲の細かいところに目を向けながら色々な人と話しているうちに、真実を解き明かしていくという、いわゆるミステリ……のような作品だ。

謎解き自体も面白い。のだけれど、整くんの、ぼんやりしているのに話し出すと止まらない魅力的なキャラクター性や、言葉選びの緻密さ、ストーリーの面白さ、クスッと笑える会話など、色々な面に魅力が詰まっている。

私がこの作品を「ただのミステリではない」と言いたくなる最大の理由は、そこに「ヒーリング効果」があるからだ。その力は整くんの静かで厳しく、優しく軽やかな「語り」から生まれている。

私にとって、そして社会に出たばかりの新入社員たちにとって、生きるのが少しだけ楽になるようなエッセンスが、彼の「語り」の中にはたくさん含まれていると思う。

目上の人に時には意見を言うことの大切さ

学生から社会人になると、大抵の人は大きな変化を甘受しなければならない。たとえば入社研修では、徹底的に自由が排され、「社会人として如何になじむか」を強制される(同世代に聞くと、そんな企業が少なくなかった)。

新卒入社したばかりの社員たちは、「やりたい」より「やるべき」を優先すること、他者の意思へ「そぐう」ことが、いかに大事かを叩き込まれる。

もちろんこれは、会社の「仕組み」や新卒社員の立ち位置を考えれば、そうなんだろうなと思う。しかし時には、「理不尽すぎる」と言いたくなることもある。上司がダブルスタンダードだったり、要求が無茶だったり、ハラスメントまがいの言動をされたりと、色々な辛いことも経験する。

「いかにそぐうか」が重要だ、と説かれた私たちは、それに対抗するすべを持たないことが多い。上の人には逆らえない、とぐっと我慢して辛そうな顔をしていた友人たちの顔を、ありありと思い浮かべることができる。

一方、整くんは、それをよしとしない。おかしいと感じたら「おかしい」とはっきり相手に伝えるのだ。整くんは、相手が幼かろうと、おじさんだろうと、おばあさんだろうと、自分の思いを語る、語る、語る。そもそも整くんは完璧超人として描かれてはいない。だから、正直「うーん、本当にそうか?」と感じることもある。整くんではなく、相手の反論・反応に共感することもある。

整くんも、自分が間違ったと感じれば「間違っていた」「ごめんなさい」と言う。作品では、そういうコミュニケーションが肯定的に描かれている。

私は、この作品から(言葉は選ぶとしても)「言いたいことは言ったほうがいい」というメッセージを受け取った。言わなきゃそもそも伝わらないし、間違っていたら後で謝ればいい。そもそも人の考え方はさまざま。「そぐわない」のが普通で、「そぐう」のは不自然なことなのだ。

「絶対に正しい」登場人物がいない

世の探偵ミステリは「正解」と「不正解」をめぐる物語である。そう、ワトソンは常に間違うし、ホームズはいつも正解を見出す。

でも、整くんは「正しい解答」を追求するよりも、それぞれの人がそれぞれの立場から自分の物語を語ることを大事にしているように見える。それが一話で語っていた「真実は人の数だけある」というテーマ性に繋がっていくようにも思える。

ドラマ版の整くんは、原作版よりも「正しい」寄りになっているとは思う。

けれど、ドラマ6話では、整くんが「桜は傷つけると枯れてしまうから、傷つけてはいけない」「梅はそうではなく、切った方が美しく咲く」と言って、「それは人間の都合に過ぎない」と反論されるシーンがある。

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という格言も、視点を変えれば「人間の勝手」。なるほど、このあたりは価値観で、どちらが「正しい」とも言えない話だ。

こういう所に気がついて、私の気持ちはちょっとだけ楽になった。あの時上司に批判された考え方でも、それだけで「100%、私が間違っている」とは限らない。前提や状況、判断する人が変われば、そちらが「正しい」となる可能性もあるのだ。

「恋愛」がどこにも出てこない

ところで、ドラマ版を観た原作ファンが「おお!?」と思う一番のポイントは、新人女性刑事・風呂光さんから整くんへの片想い矢印だろう。これ、実は原作のどこにも出てこない話。私はどちらかというとガロくんとの間に恋愛めいた絆があるんじゃないかと、原作を読みながら思っていたが、それもどこか曖昧な感情として、ぼんやりと揺蕩っているだけである。

この世には恋愛をテーマにした作品が数え切れないほどある。恋愛は楽しいことであると同時に、疲れることでもある。恋愛は関係性で、感情の起伏で、それを追うのには、体力と「感情力」みたいなものを必要とされる。特に「若い女子」は恋愛が好きだろう、と思われるからか、ネットを開けば大量に恋愛情報が押し寄せてくる。

でも、私は正直、そこまででもない。仕事もしている、環境も変わった、昔の友達とも会いたいし、コロナだし、なのに時間ないし、お金もないし、正直(特に他人の)恋愛に関わっている時間がない。だから、「恋愛を押し付けてこない」作品を読んでいると、とても落ち着く。

その点、整くんの感情は常にぼんやりしている。激昂することはなく、誰を好きなのかも、あまりはっきりしない。嫌い……は、なんとなくあるけれど、恋愛以前に誰かに対して「入れ込む」印象がない。そんな整くんを中心に話が進むからか、周りの人の彼に向かう矢印もぼんやり気味だ。だからこそ、楽な気持ちで読むことができる。

今日は何巻を読もうかな。来週の放送に備えて、焼肉の話でも読もうか。それともまた、一番好きな爆弾魔の話を読もうかな。わくわくしながら漫画を開こうとして気づいた。

久能整=苦悩が整うってこと!!??

へんな名前だとは思っていたけれど、名前に意味があるなんて、しかもこんなギャグ漫画みたいな意味があるなんて。思っても見なかった。主人公なのに、そのへんの脇役みたいな名前のつけられ方をしている。

あまりにも今更の気づきだ……。つくづく自分のカンの悪さが恥ずかしい。いや、私が「整う」のは、いったいいつのことになるのやら……。

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