ドッジボールという競技の性質に対する不満が相次いだ。
「ドッジボールほど野蛮なスポーツってないよね。あんなに力強く人にボール当てて、何が楽しいの?」
「人にボールをぶつけるなんてなんて野蛮なんだと思ってた。今も思ってる。野蛮人が趣味でやるなら自由だけど、授業で全員に強いるとか狂気の沙汰」
ドッジボールは野球やサッカーといった球技と違い、人にボールを当てることが得点になる。弱者に物をぶつけることが肯定されるルールは、冷静に考えても狂気に溢れている。
中には「当たるの怖いし当てるの申し訳ない。向いてなかった」という人もおり、優しい人は活躍できない理不尽な球技とも言える。
ドッジボールはクラス内の階級を決めかねない
また、性別や運動神経の良し悪しを問わずに参加させられることに、不満を口にする人もいた。
「運動音痴の私は、男子たちにとってカモなので、本当に大嫌いでした」
「水泳はグループ別に教えてもらえるのに球技はそれがないね。ドッチボールは運動の出来る子と全く出来ない子がまぜこぜでしょ。それが嫌」
ボールをキャッチする、投げる、避けるなどの動きが必要であり、個人の運動能力がパフォーマンスを大きく左右する。体育の授業や球技大会などで全員まとめて参加させられると、楽しめない人が一定する出てくるのは当然で、レベル分けが必須な球技だろう。
「小学生のマウントを形成する要素の一つ」
「内野にいるとひたすら逃げるだけ。外野にいるとボールを投げるの下手だから投げさせてもらえない。自分の存在価値ゼロ」
ドッジボールで自己肯定感を奪われ、クラスメイトから見下された経験がある人もいた。さらに「ドッジボールのせいで球技が嫌いになった」と球技嫌いのきっかけになった人もおり、少し気の毒な気持ちになってしまう。
ドッジボールそれ自体が悪いわけではない。だが、教育とは言え、すべての子どもを強制的に参加させる状況は見直すべきだったのだろう。