「30歳年収530万妻子マイホーム持ちだけど虚しい」 人生について考えさせられる悲しい独白
先日、2ちゃんねるで興味深いスレッドを見つけた。「30歳公務員年収530万妻子マイホーム持ちだけど人生が虚しい」というスレだ。
本文を見ると、スレ主による「ホントしんどいし虚しい」という弱音。一体どうしたのだろうか? 30歳で年収も500万円以上あって、家もある。最強じゃないか。それなのにどうして?
僕のような「持たざる者」からしてみれば、まさに完璧な人生を順調に歩んでいる途中にしか思えない。こういうことを書くと悲しくなるけど、狭い1Kのアパートに荷物と仕事道具を押し込んで、寝起きしている身からすれば、まさに天国のような人生ではないか。
スレ主は中学校の教員というかなり安定した仕事に就いているが、「やりたいことってなんだろうって分からなくなる。無い物ねだりなのは分かってるがなぜか毎日辛い」と語る。こればかりは当人の立場になってみないとわからないけど、もしかすると、こういうことってそこまで稀有な話でもないのかも知れない。
というのも、このスレッドには、そこそこ同じような声を見ることができるのだ。
いくつか紹介してみたい。
「37歳スーパー店長年収680万だけどおんなじ気持ちだわ」
「親父も公務員 年収700万だったけど 辛い思いしてた」
う~ん、安定して堅実な人生を送ることを決めたのは自分の意志があってのことなので、こっちからすれば「何を贅沢言っとるんだ」という気にもなるけど、これはもう彼らにしかわからない辛さがあるってことだろう。
常に新しい目標を設定することが人生には不可欠なのか
この投稿者は、趣味として長年マラソンをしてきたという。そしてマラソンをしている間は、かなり充実しているということだ。立派な仕事をして家族を養っている傍ら、趣味も充実しているなら、なおのことそれ以上高望みするのは贅沢だと思うんだけどなぁ。
こういう状況になったことがないので断言できないけど、ひょっとすると人は、どんな生き方をしていても、ふと虚しくなる瞬間が訪れるものなのかも……。
もしかしたら、僕がもしお金持ちになって念願の戸建てを手にしたとしても「あ、やっぱりここは和室にしておくべきだった」とか「人生の目標がなくなってしまった」とか言って虚しくなってしまう可能性もあるし。
どんな状況下に置かれても満足できないのが人間なんだとしたら、下手に人生の目標を若いうちに次々達成してしまうのは、実は割と禁じ手ということだろうか? なんだかんだ、大きな目標があるから、そこに至るまでの手段について思案する必要が出てくるし、思案している間は、虚しさもさほど感じられないような気がする。
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