“真田丸ロス”に陥る人々続出! 豊臣家の「最期」が描かれなかったことにも納得
2013年のNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」は大変な人気作品となった。そしてこのドラマが終了した際には、あまロス(あまちゃんロス)という状態に陥って、終了のショックに消沈する人たちが大発生した。
同じことは、人気ドラマにはよくあること。「真田丸」も例外ではなかった。真田丸ロスに陥ってしまった人々の声を、ツイッターからいくつかご紹介したい。
「真田丸ロスハンパなさすぎて明日通学電車で大阪城見たら泣きそうになる気がする」
「今になって真田丸ロスがじわじわきてる」
「真田丸ロスでおかしくなってるから星野源見ると『おのれーーー!!徳川秀忠!!!!』ってなる」
正直、放送開始前のキャッチフレーズ「今だって、愛と勇気の旗をかかげていいんだ」が発表された際にはコケるような気がしたんだけど、それは完全に杞憂に終わった形である。
歴史上有名な人物も真田に直接関係なければ「ナレ死」で済ます
さて、最終回を観ている際に、気になった方もきっと多いと思うが、豊臣方の主要人物らの最期について、劇中でもナレーションでも描写がされていないケースが多かった。
ネットでは「あれ? 秀頼はどうなったの? 大蔵卿局は?」などの声も結構見かけている。これについては、元々「真田丸」ではしばしば見ることのできた特徴的な作風だ。
関が原の合戦では、徳川家康に立ち向かった石田三成、大谷吉継ら主要人物の合戦シーンはばっさりカットされ、それぞれの最期がわずかに、それもイメージとして表現されていた。
その理由についてはファンの間でも諸説ささやかれているが、個人的には、「真田丸」が真田と、そのゆかりの一族のドラマであることに由来があると思っている。
豊臣秀吉という別格の例外こそあるが、基本的にはいかに歴史上有名な人物であっても、真田との縁がそう強くない者たちの末路については、あまり緻密には描かれなかった。ナレーションで、その後死んだことが説明される「ナレ死」も多い。
一方で初期から苦楽を共にした地侍の堀田作兵衛、信繁の父、昌幸の側近でもあった高梨内記ら真田ゆかりの人々は、しっかりとその最期が描写され、真田の物語の肉付けの総仕上げの役割を担った。
信繁の子、真田大助はその最期が描かれていないが、彼の死を描くとなると、大前提として必然と豊臣方の自刃を描く必要があるため、これは仕方がないだろう。
12月30日に総集編を放送予定
思えば本作、第1話のサブタイトルは「船出」。紆余曲折あったが、”船出”した以上、最終回では彼らの旅は終わることとなる。終焉がきっちり描かれるのは真田の人々に限られるというのは、実に理にかなったことのように思えた。
そういえば、大河ドラマ最終回後の恒例となった総集編は、もちろん「真田丸」もやる予定となっている。放送日は12月30日。1年間「真田丸」を楽しんだ方も、「そういえば観てないな」という方も、是非ご覧になってみてはいかがだろうか。