なぜ陰キャは陽キャのふりをしないのか 「無理してもいつかボロが出る」「リアルで記号的なキャラ付けが通用するわけない」
世の中にはネクラとネアカがいる。最近ではネクラを陰キャ、ネアカを陽キャと呼ぶ風潮があるらしい。僕みたいなのは陰キャで、性格も悪く陰湿な考えばかりに囚われている。逆に陽キャは楽天的で快活。友達だって多いし、人生を十分に謳歌する力に満ち満ちている。断然どっちが生き方をラクにするのかと問われれば陽キャに軍配は上がる。(文:松本ミゾレ)
「無理矢理根暗直そうとしたら神経に来たしそのままの方が絶対健康に良い」
2ちゃんねるでは、先日「なんでリアルの陰キャって陽キャのふりしないんや?」というスレッドが立った。陰キャであることは損をすることが多いのだから、陽キャのふりをすればいいのに、それをしないのがどうしてなのか分からないというのがこのスレ主の疑問である。
正直そんなのどうでもいいじゃんとしか思えないんだけど、一応考えるふりだけしてみれば、その理由はそもそも陰キャに陽キャを装うのは無理である、としか言いようがない。
だって、陰キャが無理をして陽キャぶることほど痛々しい光景はない。たまに、明らかに陰キャ同士が無理して騒いでいるのをゲーセンとかで見かけることがある。恐らく自分たちと同じ学校に通っている陽キャが来ないと知った上での狼藉なんだろうと思うが、陰キャが陽キャぶると、独特の、ぎこちない雰囲気が醸し出される。
当該スレッドでも、無理に陽キャぶることはリスキーとの声も見受けられる。いくつか紹介したい。
「無理してもいつかボロが出る」
「無理矢理根暗直そうとしたら神経に来たしそのままの方が絶対健康に良い」
「リアルで記号的なキャラ付けが通用するわけない」
陰キャ、陽キャなんて簡単に書いてはいるが、実際にはそれぞれに色々なパターンがあるものだ。なりきるのは相当難しい。まして陰キャが陽キャになりきろうとしたって、引用した書き込みにもあるとおり、せいぜい記号化された情報を自分に落とし込むぐらいしかできないだろう。そしてそんな擬態はすぐバレる。無理は続かないから無理なのだ。
陰キャも陽キャもなろうと思ってなるものじゃない
この手の議題を投げかける人に対して、僕は常々思うことがある。それは「あなたは何者になりたいのか」ということだ。どうもこういう、「陰キャは陽キャになりきった方がいいぜ」みたいな目線で話をするタイプの素性が気になってしまう。
だって本来陰キャって、自分のテリトリーの範囲外を見やることはあまりないし、意図的に陽キャとの接触は拒んでいる。陽キャは陽キャで、陰キャのことなんて歯牙にもかけないし、せいぜいたまにからかう程度の接点しか持とうとしない。2つの棲み分けは出来ていると思う。
それが分かっていながら、どうしてこのスレ主は「なんでリアルの陰キャって陽キャのふりしないんや?」と聞くのか。これが分からない。
読み進めてみれば、このスレ主はネットスラングを用いつつ、「リアルで陰キャ煽ったりせんわ やってるやつもいるけどぶっちゃけ気持ち悪い」と、自分が陽キャに属するタイプであると書き込みをしている。が、そんな情報は別に必要ではないし、そんな素性を明かせば明かすだけ、逆に「ワイみたいな陰キャが無理して陽キャと一緒にいるとこうなるんや」という、違和感たっぷりな実情の暴露にしかならない。
率直に思うのは、こういうタイプは自分がないのではないか、ということだ。陰キャでいれば日陰者として笑われる。それは嫌なので無理して陽キャに取り入って、2ちゃんねるでは「俺も変われたんだからお前も変われる」みたいな目線で語って高尚ぶる。僕からしてみれば、こういうのが一番自分を持てない中途半端な存在としか思えない。
陰キャも陽キャも、なろうと思ってなるものじゃない。気付いたら「俺は陰キャだったのか」と理解するものだ。無理して陰キャが陽キャを擬態したって、陰キャからは賛同されず、陽キャからは「あいつちょっとさ~」みたいな具合に蔑まれるだけだ。