東日本大震災から4年 被災地で新たな産業を起し、復興につなげようとする人々 | キャリコネニュース
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東日本大震災から4年 被災地で新たな産業を起し、復興につなげようとする人々

東日本大震災の被災地となった三陸海岸は、世界三大漁場に数えられるほど豊かな海で、地元でしか知られていない食材も多い。2015年3月10日放送の「ガイアの夜明け」(テレビ東京)は、知られざる三陸の特産品を売り出し、産業を起こして長期的な復興支援につなげようと奮闘する人たちを紹介した。

三陸の沿岸に自生する「気仙椿(けせんつばき)」の種から絞った椿油は、古くから食用はもちろん、髪や肌の手入れ、やけどや切り傷などにも利用されてきた。しかし今では作り手が減り、ほとんど使われなくなってしまった。それを新たな産業にしようと東京からやってきたのは、「リテラ」代表の渡邊さやかさん(33歳)だ。

元IBMコンサルの企画を老舗化粧品会社が商品化

気仙椿を商品化したリテラ

気仙椿を商品化したリテラ

渡邉さんは以前、日本IBMで経営コンサルタントとして働いていたが、震災を機に退社し、陸前高田でボランティア活動を始めた。現在は会社を立ち上げ、椿油を使った商品の開発に取り組んでいる。渡邉さんは起業の動機をこう語る。

「地域で産業や雇用を生み出していかないといけない。津波をかぶっても枯れなかった椿、それを使って産業を作れないかと思ったのがきっかけです」

その思いに応えて商品化に協力したのが、老舗化粧品メーカーのハリウッド化粧品だ。共同で開発した「気仙椿ハンドクリーム」(1944円)は、2012年に試験的に販売したところ、1か月ほどで3000個を完売。現在は本格的に生産し、伊勢丹新宿店などで販売している。

今年の2月中旬、東京・汐留にある資生堂本社では、東北の名産品を販売する「復興支援マルシェ」が行われた。売り上げの一部を大船渡市などの「椿の植樹」に活用するという。CSR部の家田えり子さんは、

「椿を町の財産として産業化することで、復興のお役に立てるのではないか」

と語る。これまで植樹をはじめ様々な企画を立て、2014年11月には資生堂パーラーと共同で「気仙沼椿ドレッシング」を開発。1080円5000本を1カ月で完売したため、今年も発売が決定している。

奇跡的に見つかった工場の看板に決意新た

岩手県陸前高田市の社会福祉施設の一角に、震災後新たに作られた製油所「青松館せせらぎ 椿油工房」がある。資生堂やハリウッド化粧品が使う椿油は、すべてここで作られている。

ここで奥さんと共に働くベテランの職人、石川秀一さん(66歳)は、震災前は東北地方で唯一の椿油の製油所を経営していた。しかし、津波で製油所は跡形もなく流され、後を継ぐはずだった長男・政英さんの命も奪われた。

「立ち上がることはなかなか出来なかった。辞めることはいち早く決めた」

石川さんはしんみりと話す。しかし、また春が来て椿の花が実をつけたころ、「それをだれがやるの、となったとき、やっぱりやらなきゃだめなんだなと」。

そして奇跡的に発見された「石川精油工場」の看板。石川さんは培った技術を未来につなげるため、いま若い後継者を育成している。製油所の入口に掲げられた看板を前に、石川さんは決意を語った。

「この看板がある以上、やらなきゃだめなんだ。名に恥じないようないい商品を作りたいと思っている」

「被災地だから」だけでは生き残れない

番組ではこのほか、三陸沿岸の一部地方で日常的に食べられてきた海藻「アカモク」を全国に売り出そうとする動きを紹介。食を通じて被災地を支援しようという企業の集まり「東の食の会」のメンバーである「Oisix(オイシックス)」が販売ノウハウを提供し、宮城・岩手で水産業を営む人たちが共同で商品化して販路拡大に奔走していた。

リテラの渡邊さんは、「長く買ってもらうためには、『被災地だから』というのを越えなければいけない」と語っていた。

ボランティアではなくビジネスである以上、そうした厳しさは当然のことだが、そこには単なる商売という以上の志がうかがえる。眠れる資源を掘り起こし、被災地に産業を根付かせようという人たちの、ビジネスを超えた誠実な姿勢に頭が下がる。(ライター:okei)

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