え、「それがし」って何? 鎌倉で出会った「ガチ武士」とGoogle地図にない古戦場に行ってみた | キャリコネニュース
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え、「それがし」って何? 鎌倉で出会った「ガチ武士」とGoogle地図にない古戦場に行ってみた

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写真:檀原照和

鎌倉といえば、首都圏有数の人気観光地。海に面したのどかな街並み。古都の風情。歴史ある寺社仏閣。そんな魅力あふれる街だが、ちょっと残念な点もある。駅に「武家の古都、鎌倉へようこそ」という横断幕があるのに、武家っぽいスポットが見当たらない!

「鶴岡八幡宮は武家社会の起点」などと言えなくはない。しかし同じく武家の古都である金沢の「前田土佐守家資料館」、「加賀本多博物館」、「武家屋敷跡 野村家」、「足軽資料館」のようなストレートな施設はない。さびしい限りだ。

そんな鎌倉のミッシングピースを埋める男が現れた。今を生きる鎌倉武士、その名も鎌倉智士さん(40歳)。なんと本名だという。(取材・文:檀原照和)

「それがし」?

「それがし、前身となる活動から数えると16、7年この道を歩んでおる」。

ものものしい古語で切り出した鎌倉さん。一人称は「それがし」、二人称は「そこもと」。言葉選びにこだわりがある。

最もこだわっているのは、身につけている鎧だろう。「大鎧」と呼ばれるもので、平安末期から鎌倉時代に掛けての武具だ。パッと見は五月人形に近い。

武者鎧と言えば、戦国時代に使われた「当世具足」を連想する人が多そうだ。奇抜な兜で相手を威圧し、鉄をふんだんに使った重装備の甲冑である。

だが大鎧は鉄砲登場以前の武具なので革製で軽く、騎馬戦に特化している。重さは5?10キロ程度しかない。試着させてもらったが、軽くて驚いた。たしかにこれなら馬上で戦えただろう。

ただ、大鎧はレプリカですら2~300万円する高級品。しかも甲冑師が復刻したものは観賞用が多く、実際には着られないものが多い。

そこで鎌倉さんは時代考証にこだわり、自ら甲冑作りに挑戦した。その腕前は甲冑師の団体が見学に訪れたり、山車人形の鎧制作を依頼されるほど。いまでは教室を開くまでになり、手がけた甲冑は70領(*鎧を数える単位)に及んでいる。

「地元の人でさえ知らない」歴史を伝えて

鎌倉さんの主な活動は、鎌倉武士の姿での古跡のガイド。それから「鎌倉もののふ隊」として奉納演舞を披露するほか、武者行列を率いるなどイベント屋としての実績もある。力を入れている活動の一つが奉納演劇。頼朝の鎌倉入府以前にこの土地を納めていた鎌倉一族のドラマを、たびたび上演しているのだ。

「頼朝に滅ぼされた『鎌倉四兄弟』の物語を自費出版しています。幕府成立以前のことを地元の人でさえ知らないんですよね。9月18日の鎌倉権五郎の命日に近い週末には、毎年武者行列で権五郎を鎮魂しています」。

ふだんは地のまま武者として活動している鎌倉さんだが、このときばかりは「鎌倉権五郎景政である」と名乗って、なりきっているそうだ。

地域の歴史をどう語りついでいくか。この部分にはこだわりがある。2022年に大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放映が控えているが、「単純にドラマが決まって万歳ではなく、誤った定説を正し『こういう見方があるんだよ』とお伝えしていきたいんです」。

Googleマップに出てこない古戦場へ


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写真:檀原照和

鎌倉さんのツアーを体験するため、お気に入りだという大塚山遺跡を案内してもらった。新田義貞の時代の古戦場で、戦死者が大勢出た場所だという。もっとも古地図にしか載っていない地名なので、Googleマップで検索してもヒットしない。

「でも、これで見れば分かりますよ」

そう言って見せてくれたのは、鎌倉さんが自主開発した「鎌倉古代マップ」というアプリ。大学時代には「小助官兵衛の戦国史」という長大なシナリオで知られるマニアックなゲームを開発したこともあるそうだ。

地元小学校で子供500人を集めた源平合戦を毎年プロデュースしているということもあり、地域でも有名な鎌倉さん。あちこちから手を振ってくる人がいる。しかし鎌倉武者が現在の街並みをゆく姿は、すこしばかりシュールかもしれない。

ツアーコースの大塚山は、坂を越え、森を超え、竹林を超え、観光客が通らないような切通しを進んでいく。途中ものすごい崖も登るが、鎌倉さんが笑いをとってくれるので楽しい道行きである。

女性参加者も多いという。参加者が鎧を着てもOK、「むしろ汚れた方がリアルで良い」という考えだそうで、その姿勢も魅力の一つだろう。もっとも一番人気は鎧ではなく、白拍子の衣裳なのだとか。既に自前の衣裳を持っている歴女やコスプレイヤーではなく、ライトユーザーが何度も参加して次はこの衣裳、今度はこれ、という風にあれこれ試しながら楽しむ傾向があるという。

ツアーとは対照的に、鎧作り教室は男性中心。サムライ文化ということでインバウンドのことも聞いたが、意外なことに外国人には関心を持たれていないという。1度、海外に呼ばれて遠征したが、日本の鎧文化が認知されておらず、あまり反応はよくなかったという。

「ギネス更新」を目指す!

出だしに戻ろう。鎌倉さんには大きな目標がふたつある。

「ひとつは武家屋敷のテーマパーク建設です。日光江戸村の屋内版のような施設を考えています。そこまで大きくなくても構いません」

「もうひとつは武者行列のギネス記録更新です。現在の記録は『第41回信玄公祭り(2014年)』での1,600人です。幕府成立の1,192という数字にはこだわりたいので1,192隊×50=6万人(*1隊=50騎)が目標です」

一般に侍の道を究めることは武士道とよばれている。しかしそれが成立したのは江戸時代になってからのことだ。鎌倉時代の武者を生きている鎌倉さんの場合は、より古い言い方である「弓馬の道」という言葉がぴったりだと思う。

古都鎌倉には、京都や金沢とはひと味もふた味も異なる日本があったのだった。

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