「自分の育成失敗した」と嘆く大学生にエール集まる「ようやく人生のスタートラインに立った時ってこんな感じ」
年齢を重ねるうちに、自分の「欠落している部分や成長していないポイント」に気づく人がいる。そんな時、周囲にいる同年代や年下の人たちが「その部分」をクリアしているように感じると、その人たちがやたらとキラキラして見えて、自分とは違う恵まれた人なのだとやるせない気持ちになってしまうことがある。
そんな重苦しい感情にとらわれた男子大学生の苦しみが先日のはてな匿名ダイアリーで話題になっていた。「自分の育成失敗した感がすごい」というエントリで投稿されたその内容は、うまく成長できていないせいでいつまでも人間性が未熟なのだということに気づいた投稿者が、教育実習まで進んだのに教師になる目標を断念したというもの。(文:みゆくらけん)
「自分が救いたいのは子供たちではなく、小さい頃の僕自身だと気付いてしまった」
断念した理由は教育実習先の生徒たちが予想外に皆キラキラしていたから。学校に行くのが苦痛だった「僕みたいなねじくれた子供を増やさないため」に教師になろうと思った投稿者は、そこで自分の出る幕はないと背中を向けてしまう。その後はずっと気持ちが沈み、結局教員採用試験は受けなかったとし、
「自分が救いたいのは子供たちではなく、小さい頃の僕自身だと気付いてしまった」
と嘆いている。「担当した生徒たちの精神的育成が順調に成功しているのを見て焼け付くように羨ましくて、もうだめだった」とも。
この投稿には、エールを中心に多数のコメントが集まっている。「自己投影って気づくだけすごくない?」という声を筆頭に、
「何事も優秀で友達も多く問題ない学校生活を送った人が先生になるより、増田のような経験と思考を持った人が先生になった方が生徒の気持ちに寄り添えるのではないでしょうか」
「『学校が嫌いだった先生』は非常に貴重なので是非先生になってほしい」
と背中を押す声が。反対意見として一部で「教師に限らず、精神的に自立してない人が教えるのは危険」という指摘もあったが、「自分は精神的に自立していない」ということに気づいている投稿者の場合は「危険」とまでは言い難いのではないだろうか。
「危機感や焦燥感がある時は成長できてる」という意見も
また、投稿者はまだ若く自分の成長が見込めるのはまだまだこれからだという意見も多く、「ようやく人生のスタートラインに立った時ってこんな感じ」「おっさんから言うと育成の本番はこれからなんだが」などというコメントも。確かに結論を出すのは早過ぎたかもしれない。「とりま、定時制学校やフリースクールの教師をゆくゆくは考えても良いのでは?」という意見にも共感できる。
気づいているかどうかは別として、「今の仕事(や育児)を頑張れるのは、実は自分を救うため」だという人は多いのではないだろうか。仕事や役割を通して自己救済するのはある意味とても建設的で、社会的にもそれがプラスになるのなら悪いことではないと思う。
この投稿者の場合も「救いたいのは子供たちではなく、小さい頃の僕自身」と伝えているが、別にそれで構わないような気がする。キラキラに見える子どもたちの中にも闇はおそらく存在するし、何よりそれを見つけて対処してあげられる能力に長けていそうだ。集まったコメントの中にあった
「危機感や焦燥感がある時は成長できてる。慢心したところから成長が止まる。オッサンの振り返りではあるけど」
という声に深く頷ける。