女性が自身の働く会社をブラック企業だと感じたのは、震災が起こったときに遡る。震災の影響で電話もつながらない中、やっとの思いで公衆電話から連絡したところ、「すぐに出社しろ」と命令があった。震災直後だったため、公共交通機関も止まり、車もなかった女性は徒歩で出社する状況だった。
女性の家族も被災したため、休みを申請したが、却下される始末。「本社の窓口にも相談したのが気に入らなかったらしく、社長や役員にメールで不倫していると嘘の悪口をたくさん送られました」と振り返る。女性はその後、突然の出向になり、引っ越しをすることになった。
「事務職での初の出向で規約も何もなかったので、家財道具や引越し料金もなく、出向手当てもありませんでした。そのため貯蓄は底をつき、両親への送金と学費の返済でかなりつらかったです」
「仕事中に父親が亡くなったが、終電まで帰れなかった」
女性が出向先の上司に菓子折りを持って挨拶に行った際には、「歓迎なんてしないから」と言われ、女性は完全に心が折れてしまった。8時半出社を言い渡されていたが、事務所の鍵をもらっておらず、「他の社員が来るのをひたすら待っていました」と振り返る。
それでも頑張っていた女性をさらなる悲劇が襲う。
「仕事中に父親が亡くなり、上司に伝えると『受注した仕事が止まるのは困るんだよね』と笑っていました」
結局帰ることは許されず、その日は終電まで仕事をすることに。家族と友人にも怒られる始末だった。
それからも毎日残業は続き、上司の個人的なクリーニングの受け取りや部屋の掃除まで様々な業務をする毎日。休日出勤をすることも頻繁にあったが、もちろん無給。
「私はこんな状況ですが、上司のお気に入りの女性はすごく優しくされており、うらやましいです」
女性は現在の環境を嘆きながらも、「もう少しだけがんばります」と語った。
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