子どもの頃からアイドル好きだった大谷さんは、好きが高じてアイドルファンには知られた地下アイドルグループの姉妹ユニットの研究生になるも「人前に出るのは苦手なタイプで、運営志望だった」こともあり脱退。その後は別の地下アイドル事務所でアルバイトをしショービジネスについて学んだ。
一方、東南アジアなど海外に何度も訪れたことで、自分が大好きなアイドル文化を海外に知ってもらいたいと考えるようになった。大学3年生になり、その思いが爆発。沢木耕太郎の「深夜特急」などを読み憧れていたインドで、アイドル文化を広めようと考えた。
「初めは台湾やタイが候補でしたが、既に現地にアイドルがいて、日本のアイドルも公演をしている。そんなところに無名の女子大生が行っても目立ちません。でもインドなら、アイドル文化はないですし、人口も多く、当たったら大きいと考えました」
インドを訪れた経験は一度もなかったが、一度”発車”した思いは止まらない。当初は自らは裏方に周り、インド人によるアイドルを組もうとも考えたが「自分でやるのが早い」と自らステージに立つと決めた。
協力者を探して
さすがに女子大生が一人、インドでアイドルは無謀だ。そのくらいの分別は大谷さんにもあった。ネット検索を駆使して現地の協力者として見つけたのが、当時インドで漫画喫茶などを経営していた藤浪さん(仮名)だった。ところが店の住所はわかるものの、肝心の連絡先がわからない。そこで大谷さんは考えた。
「そうだ、インドに、会いに行こう」
こうして大谷さんは、面識のない人間に会うために生まれて初めてインドに飛んだ。デリーにある漫画喫茶を訪ねてみると、肝心の藤浪さんがいない。実は藤浪さんは、一時日本に帰国していた。地球規模の空振りだった。
幸いにも漫画喫茶の隣にある家具店の日本人店主から藤浪さんの連絡先を聞き、日本で面談。藤浪さんから協力の約束も取り付け、大谷さんは2017年夏、大学を休学し、インドで初のアイドル「HUYU」(仮名)として活動をスタートさせた。
大谷さんのインドでのアイドル活動の第一歩は、藤浪さんがデリーで経営する漫画喫茶でのファーストライブだった。ステージは隣の店の家具店の人に作ってもらい、衣装はデリーの市場で購入した布で手作りした。
ファーストライブではAKB48の曲などを披露したライブには駐在の日本人や現地のインド人も合わせ30人もの観客を集めた。しかも無料でなく500ルピーを取る有料ライブ。無名のアイドルとしては上々すぎるほどの滑り出しだった。
オリジナル曲も完成
最初のライブをきっかけに、地元のいろんなイベントにも呼ばれるようになり、駐在の日本人だけでなくインド人のファンもできた。
「印象に残っているのは、インド人のおじいちゃんで、いつも優しい笑顔でバラの花束をくれた。TO(トップオタク)ですね」
ライブは主に日本のアイドルのカバーだったが、一曲だけインド人に作ってもらったオリジナル曲がある。インド人に恋する女の子を描いた曲で、歌詞は大谷さん。<優しく英語で話しかけてくれたの Rの発音が個性的ね><恋はときめきスパイシー あなたに会えてダンニャワード 大きなマハルのお墓に いつか二人で行きたいの>と、インドで活動する大谷さんならではの言葉が躍った。
繰り返す停電に断水。インドでの生活は苦笑いの連続だったが、アイドル活動自体は大変だとは思わなかった。アイドルとしてインドだけでなく、ネパールで開かれたアニメファンのイベント「Comi-Con Nepal(コミコンネパール)」にも出演した。誰一人日本人アイドル「HUYU」を知らない中、5000人ほど集まる会場でライブを披露すると、徐々に観客も踊り始め、大きな歓声も上がった。
文化の違い
話を聞けば、アイドル活動を着実に進めているように思える大谷さんだが、徐々に活動に限界を感じ始めた。
「理由の一つは文化です。アイドルのような、少女っぽいものを愛でることがタブーという意識がありました。私は外国人だからミニスカートをはくことを許されていましたが、インド人がはくのは難しい。伝統衣装のサリーは、肩もおなかも出ているけれど、足はダメ。HUYUのやり方だと多くの人には受けないなと思いました。もう一つはやっぱりインドでアイドルとなると、インド人じゃないと難しい。ライブ活動からインドで曲をリリースしたり、現地のテレビに出るというのは厳しいと感じました」
インドでアイドルという決断も早かっただけに、撤退の決断もまた早かった。2017年のクリスマス、「HUYU」として活動を一旦終えるとの報告をファンに行い、日本に戻った。
培ったマインド
ただ海外にアイドル文化を伝えたいとの思いは変わらなかった。インドでは2019年にAKB48の姉妹グループ『DEL48』が活動をスタートさせたのを知り「素人だけでなく、大きな組織でいかないとインドでアイドルを広めるのは厳しい」と資本力の必要性も感じた。
「だから就職活動では、現在の会社などグローバルで展開するエンタメ会社の面接を受けました。インド時代の自分にはあまりにも何もなさすぎました。今は音楽業界で力をつけようと思っています」
アイドルの経歴、活動は果たして一般社会でも役に立つのか。
「キャリアでいえばエンタメ会社に採用されたのは、インドでのアイドル活動が大きいと思います。今、海外のアーティストの担当をしているのも、インド時代の経験があってできてるのかなと思います。マインドでいうとインドではDIY精神が培われました。自分でやらないと何も変わらないという精神は、今の仕事でも役立っています。あと、人前で物おじをしなくなりました。私の場合、アイドル経験は役立っています」
またいつかインドで
大谷さんにはインドでのアイドル時代、印象に残っている光景がある。
「活動中、インドの小学校で日本のアイドルについて子どもたちに教える機会がありました。授業が終わると、日本のアイドルを初めて知ったインドの女の子たちが『自分もアイドルになりたい!』と言ってくれて。インドの小さな女の子に、自分がちょっとでも夢を与えられたのかもと、そこはすごく印象に残っています」
だから、インドからの撤退はあくまで「一旦」。またインドでアイドル文化を広めたいと考えている。
「HUYUはふわふわした衣装でミニスカートというアイドルでしたが、インドは今、強い女性像が受けるのでガールズクラッシュ的なものが求められている。なのでK-POPアイドルと、日本のアイドを融合させたようなかっこいいアイドルをインドでやりたい。自分ではもうやらないですけれど、今度はプロデューサーやレーベルの人としてインドに戻りたいです」