トピ主に対して多く寄せられたのは批判的な声だ。
「本当に無自覚で書いてるなら、その友達とリアルで接してるときも見下しの言動でちゃってそうだよね」
「なんで絶妙に上から目線なの?実は無意識に自分より下だと思ってた友人が幸せになるのが許せないんじゃないの?」
投稿者は、友人の性格を「わがままで変なこだわりがいっぱいあって」と紹介しているが、明らかに見下しているように思える。見下している相手が自分より先に幸せになったことが許せず、ネガティブに考えてしまうのだろうか。
一方で、投稿には以下のようなコメントも付いている。
「私は流産したのですが結婚した報告を聞くとどうせ自分よりも先に妊娠して何事もなく産むんでしょって思う」
「20代半から30代まで3年不妊で自分よりも後に結婚した子の妊娠とか喜べ無かった。なんならパンダの妊娠ですら悔しくて泣いた。今思うと笑えるけれどその時は心に余裕が無かったな」
「友人の幸せを祝えなかった」という思いは、実は多くの人が経験しているのかもしれない。「自分が幸せなら友達の事も喜べると思う。まずは自分が幸せになること」という指摘もあったが、他人の幸せを祝うには自身にも心の余裕が必要なのだろう。
一緒に喜ぶ方がむしろ難しい?
そもそも心から友人の幸せを祝う必要などない、と切り捨てる人もみられた。
「友達ってほんとは赤の他人だしね」
「基本人の幸せは心から喜ばないよ。だって他人だもの。でも大人だから喜んでるフリは上手にするよ」
投稿者の友人が幸せになったところで、自分にメリットはない。一緒に喜ぶ方がむしろ難しいようにも思える。
「しんどいならすこしだけ距離置いても良いんじゃない?また笑顔で会える時もくるだろうし」
「自分の気持ちに素直になって、付き合うのがしんどくなれば疎遠になってもいいと思う。向こうも独身の人とは話が合わない、って思ってるかもしれないし」
とりあえず、今の自分の歪んだ感情は胸にしまい、しばらく友達と距離を取ってみたらどうだろうか。トピ主が、無理に自分を責める必要はないだろう。