漫画編集者たちが語る 『セクシー田中さん』問題と「作家と編集との関係」 | キャリコネニュース
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漫画編集者たちが語る 『セクシー田中さん』問題と「作家と編集との関係」

画像はAmazonより

マンガ『セクシー田中さん』のテレビドラマ化をめぐる騒動は、収束する気配がない。2月8日に小学館が「第一コミック局 編集者一同」の名義で発表した声明文にも大きな反響があった。その中でも注目を集めたのが「寂しいです、先生」という、結びの1文だった。

亡くなった芦原妃名子さんを悼むために、編集者たちはこの言葉を選んだわけだ。漫画家と漫画編集者との関係性が垣間見える一言だった。世の漫画編集者たちにとっても、この一件は他人事ではないに違いない。彼らはこの問題をどう見たのだろうか。キャリコネニュース編集部は現役の編集者たちに匿名を条件に話を聞き、今回の事件について思うところを語ってもらった。

「編集者は作家を守るべき存在」

多くの編集者たちは全般的に「小学館の対応」については、手厳しい意見だった。その前提になっているのは「編集者は作家を守るべき存在」だという視点だ。

「日テレ側も小学館側も、対応は稚拙だったと思いますが、特に小学館の編集者はなにをやっていたのだろうかと、首をかしげてしまいます。中でも悪手だったと思うのは、作者個人にSNSで発信をさせた点です。こうなると、作者が同情だけでなく批判も個人で対処しなくてはいけなくなります。漫画家を守るという編集者の役目を放棄していたとか思えません」(大手出版社 編集者A氏)

「作者がドラマの内容に不満があるのは、編集者が一番感じていたはずです。ならば、最悪の事態になるまでに、もう少しケアはできなかったのでしょうか。放送してしまったドラマを取り消すことはできませんが、漫画家のメンタルが落ち着くまで寄り添うのも編集者の仕事でしょう」(中堅出版社 編集者B氏)

もちろん、小学館側も、単に手をこまねいていたわけではないだろう。次のようなフォローの声もあった。

「小学館は日本テレビに対して原作者が脚本を書くというところまで持ち込んでいます。ですので、編集者もそれなりに気を遣って対応をしていたはずです。さすがに、こんな事態になるとは誰も予測できなかったでしょう」(編集者A氏)

もし、今回と同じようなトラブルになったら?

さて、今回の一件は、同じ漫画編集者として、全く対岸の火事ではないだろう。もしも自分の担当している作品が映像化され、同じようにトラブルになったら、どう対処するだろうか。そう尋ねたところ、次のような答えが返ってきた。

「こういう状況になったら、作家と一緒に気が済むまでテレビ局や脚本家に対して怒りながら、酒を飲み続けると思います。そもそも、映像化されるような作品に拘わってみたいものですが」(編集者B氏)

「今のところトラブルになったことはありませんが、漫画家が怒ったら一緒に怒るのが編集者としては当然だと思いますよ」(老舗出版社 編集者C氏)

担当者としては、作家と同じ視点で「一緒に怒りたい」という気持ちがあるわけだ。

一方で、編集者C氏は次のように指摘する。

「実際に映像化にこぎつけるものばかりではありませんが、ぶっちゃけ、ドラマだけでなく映画も含めて“映像化したい”という問い合わせは、かなり多い」(編集者C氏)

実際、漫画原作ドラマの成功例は、数え切れないぐらいある。名のしれた原作は、ある程度のヒットが見込め、スポンサーへの説明がしやすいなど、さまざまなメリットがあるとされている。一方で、必ずしも全ての実写化が成功するとは限らない。中には原作とテイストが大きく異なり、原作ファンから酷評される作品もある。

編集者C氏は「漫画家には許可を出す際には“実写は、あなたの作品とは別物になる可能性が高い”とは話すようにしています。どうやっても実写が漫画と同じにはなりませんから」と話す。

そもそも実写と漫画では表現手法もまるで異なるので、そういった意味での変更は避けられない。そのうえ多人数が関わり、それぞれの思惑が絡んでくるうえで、見解の相違は必ず生じるものだろう。

中堅出版社の編集者D氏は「テレビでドラマになるということは、法人同士のビジネスです。多くの人が拘わるプロジェクトの過程で、衝突が起きるのは当然です」と指摘する。

なお、そうしたリスクもあるのに、なぜ原作者が許可を出すかといえば、作品が映画化・テレビドラマ化されればファンが広がり、原作の売上も伸びるからである。

なぜ外部に出たのか?

編集者D氏は、今回最大の失態だったのは「本来なら内々で処理すべきものが、外に出てきてしまった点」だと語る。

そもそも、ドラマ『セクシー田中さん』の脚本家交代が一般に知られることになったきっかけは、最終話(10話)が放映された昨年12月24日、当初の脚本家がSNSの投稿(※削除済み)で8話時点での途中降板の報告をし、「過去に経験したことのない事態で困惑し」ていると記したこと。さらには、メディアがこの投稿を取り上げ、脚本家交代についての視聴者の否定的なリアクションも含めて報じたことだった。なお、脚本家は原作者の訃報を受けたコメントで「SNSで発信してしまったことについては、もっと慎重になるべきだったと深く後悔、反省しています」と述べている。

投稿やメディア報道を受けて、ネット上には脚本家の変更について批判的な見方も一定数出てきていた。原作者である芦原さんがブログやツイートで今年1月26日に発信をしたのは、そうした状況に対し、原作者自身が事情を説明したいという考えがあったからだろう。

芦原さんは、ドラマ化に際して付けた条件が守られず、脚本への修正などを巡って「相当疲弊し」たことや、自らが脚本を書くことになった経緯を丁寧に説明。そして、自らの手による9話と最終話の脚本については、そうせざるを得なかった事情も含めて明らかにしたうえで、「素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形になり反省しきり」と「お詫び」を綴っていた。原作者の心情としては、そうせざるを得ないところまで追い詰められてしまったのではないか。

こうした一連の流れが起きてしまったことについて、編集者D氏は「関係者の不満を、内々で処理するのも編集者の力量です。SNSで脚本家が個人的に不満を述べるというのは、問題の処理に失敗していますよ」と指摘した。

裏側でどんなやり取りがなされていたのかは、外部からは見えてこない。しかし、脚本家側も「芦原先生がブログに書かれていた経緯は、私にとっては初めて聞くことばかりで、それを読んで言葉を失いました」「もし私が本当のことを知っていたら、という思いがずっと頭から離れません」などと述べている。つまり、情報の伝達がうまくいっていていないことを強く類推させるようなニュアンスの発信が、原作者サイドからも脚本家サイドからも出ているのだ。再発防止のためには、このあたりの経緯を調査し、明らかにする必要がありそうだ。

漫画家と編集者との関係とは?

小学館編集部が出したコメントを冷淡に受け止める編集者がいたのは、こうしたことが前提となっているからだろう。

「あれ、会社がやらしてるんじゃないの? “寂しいです、先生。”って、ホントに悪いと思ってるんでしょうか……ちゃんとケアしろよ」(編集者A氏)

「さすが大手は違う。長い文章ですが、結局は自分たちはちゃんとやっていたし、悪くないといいたいだけじゃないんでしょうか」(編集者D氏)

コメントが、会社側の組織防衛的な要素と「寂しいです」という個人的な心情の吐露を混在させた内容になっていたことも、その一因かもしれない。

今回、話を聞いていて、出版社側の立場でもあり、漫画家と共同作業をしていく立場でもある編集者というのは、立ち位置が難しい仕事のように感じた。彼らは漫画家との関係性をどのように捉えているのだろうか。

「せっかく、ウチの雑誌で描いてくれるのだから売れて欲しい。なんなら、ウチを踏み台にしてメジャーになって欲しい。厳しくしていると、よそで悪口をいわれたりしているんだろうなあ……と悲しくなることもありますけど」(編集者B氏)

「正直、漫画家にもタイプは色々です。完全にビジネスライクな人もいれば、自身の作品に対してこだわりが強い人もいます。ぶっちゃけ面倒くさい人のほうが多いんですが、それでも出来上がった作品は素晴らしかったりする。編集者のやりがいは、面倒くささを乗り越えて、漫画家を成功させることです。そのためには、こっちは裸踊りだってなんでもしますよ。(漫画家は)いわば、編集者にとって、夢と利潤とを与えてくれる存在だと思います」(編集者C氏)

「なんの因果か知らないけど、見捨てられない……という点では、仲間だと思ってます。締切に遅れずに、ちゃんと原稿を仕上げてくれるなら、仲間です」(編集者D氏)

「漫画家が描いてくれなかったら、こちらも生活出来ない。その点では編集者はあくまで、サポート役です。なので、常に下手に出るしかない。たまに“同人誌があるので、休ませて”とかいわれるとキレそうになりますけど」(編集者D氏)

芦原さんへの短い追悼コメントを出して以降、長く沈黙を続けていた日テレだが2月15日になってようやく、「社内特別調査チームを設置」し、検証していくことを発表した。この調査によって事態が明らかになり、適切な再発防止策がとられればいいのだが……。

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