同僚の送別会は参加して当然?「欠席したら貶された」人の怒り「やりたい奴でやればいいのに、なんで参加しない奴を叩くんだ」
先日、近所のコンビニから家に戻る途中、2人組で下校する高校生を何組も見た。たまにひとりで帰る子や3人組もいたが、大抵2人組。思い返せば僕の学生時代も、1人で帰宅する人間はそう多くなく、どこか変わり者扱いされていた記憶がある。
周りと違う行動をすると悪目立ちするのは、高校生も社会人も変わらないらしい。先日、はてな匿名ダイアリーに「会社の送別会を欠席したら貶された」という日記がアップされた。近々退職する同僚のため、有志で送別会をやることになったのだが、投稿者は「仕事で絡みがあったけど、個人的な付き合いとか、この先仕事で絡みもなさそうだから」という理由で、欠席を決めていたという。(文:松本ミゾレ)
「参加して自分の立場を良くしたいって思ってるから、不参加者は自分より下って考えになるんだろう」
ところが後になって、同僚から「お前行かないの? 私はお世話になったから行くけど」と参加を打診されたのだ。
「お世話になったからってなんだよ」と不快感をおぼえた彼に、同僚はさらに追い討ちをかける。送別会に参加しない他の職場仲間について「あの人も行かないらしいよ、まあでもそういう感じだよね」と貶しはじめたというのだ。
これを聞いた投稿者は「切れそうになった」「有志なんだからやりたい奴で勝手にやればいいのに、なんで参加しない奴を叩くんだ」とこぼしている。その通りだと思う。
投稿者は、そもそも何故、参加しない人々を貶した同僚が送別会に参加するのか、理由を考えてみたという。その中にズバリ「あ、これだろうな」と思えるものがあった。
「参加することで自分の立場を良くしたい。たぶんこいつら(同僚)が参加する理由にはこれが入ってる。だから参加していない奴は自分より下っていう考えが言動に出てくるんだろう」
まあどこの職場も、こういう集まりに顔を出さない人って「思慮が足りない」だの「恩を仇で返す奴だ」なんて陰口を叩かれるものだ。しかし、参加した連中の本音って、案外この「参加することで立場が良くなる」と思い込んでいるという節があるんじゃなかろうか。
「声がかかっているのだから行くべき。義理を欠いている」という指摘も
ただ、コメントでは、投稿者の考えに対する異論も割と多い。
「仕事の場と言えども人間関係で回っているので、人間関係を疎かにする奴は批判される、ってだけのこと」
「お声がかかってるのだから、辞める方とはつながりがあったと思う。仕事上であれ。 こういう有志による送別会を断るのは、義理を欠いている気がします」
と、思わず「怖えぇ~!」と発狂しそうになる、意識の高い”ご指摘”が目白押しであった。投稿者が嫌う風潮を擬人化したらこうなった、みたいなコメントである。
説明するまでもないと思うけど、僕は投稿者側に近しい考えの人間だ。辞める人間をわざわざ歓待する上に金まで飛ぶとか時間の無駄だし、結局送別会に参加する人間は自分の立場が可愛いのだ。だから参加しない人間は可愛くない。単純な話、これだけなのである。
第一今の日本の大抵の企業は、労働に対価が見合ってすらいない。それなのに送別会なんかで余計に時間を奪われるなんて、そんなの無駄もいいところ。ほとんど拷問だ。参加しないで済むなら、参加しないに決まってる。
いちいち送別会に参加するかどうか同僚から詰問され、参加しない奴の悪口を聞かされるなんて冗談じゃない。そんなの休み時間に便所すら1人では行けない小学生みたいじゃないか。我慢して職場の人間関係を重んじたところで旨みがない企業ばかりなのに、たかだか送別会程度で文句言われちゃたまったもんじゃない。