「友人の赤ちゃんに会いに行くのが面倒臭い」に共感多数 「幸せマウントされるの目に見えてる」「赤ちゃんを見ても感情が無」
子持ち筆者にとってはどんな赤ちゃんでも可愛いですし、子どもがいる友人とはお互いお祝いがてら喜んで会いに行ったので、こうした意見は新鮮でした。「喜んで」と思っていたのは私だけだったのか?と、軽めのショックもありつつです。
この投稿には300近くブックマークがつき、賛否が分かれました。意外と多くの人が「わかる」と共感を寄せています。
「気持ちはわかる。赤ちゃん=可愛い前提で言われるの困る」
「赤ちゃんが苦手な人にとって、好意的な反応を長時間強制されるこのイベントはなかなか辛いのよな」
「赤ちゃんは可愛い」に一種の同調圧力のようなものを感じて、辛い人が多いようです。そういえば、社会学者の古市憲寿氏はパンダの赤ちゃんを「可愛くない」と言って批判を浴びていました。いつでも正直に生きるには、メンタルが強くないといけません。
「動けないからうちに来て会話して、の婉曲話法だよ」という指摘
否定的な声が多い一方で、産後の友人を思いやるコメントもたくさんありました。
「赤ん坊見に来て、は動けないからうちに来て会話して話聞いて、の婉曲話法だよ。気づいてないかもしれないけど、会いに行ったならお友達は相当助けられたと思うよ」
と諭す人も。ようするに、「赤ちゃんを見に来て」は、「私に会いに来て欲しい」という求めだ、という意見です。
確かに、生後1~2カ月の赤ちゃんは首が座っておらず、おむつの取り換えや授乳も頻繁で、外出は難しくなります。睡眠不足で赤ん坊と家に籠りきりの日々は、確実にストレスが溜まるもの。筆者も友人が家に来てくれたときは、大人と話ができるだけで有難く、楽しくて仕方ありませんでした。
しかし、「それならそれで素直にそう言えばいいのに」というのが、独身者や子どものいない・作らない人の心情です。「(赤ちゃんに)会いに来て~って誘い方は独身にはキツイのだよ…幸せマウントされるの目に見えてるのだもん」というコメントもあったように、招いた友人にそんなつもりは無くても、人によっては複雑な感情が湧くこともあります。
以前、NHKの『あさイチ』で「女の友情」を特集していたとき、出産で関係がおかしくなった例がいくつも紹介されていました。子どもがいて専業主婦と、社会でバリバリ働く人との間には、どこかに隔たりが生じてしまいます。それでもその友人を大事にしたいなら、縁遠い時期はあっても関係は続くもの。そんなに面倒なら、「環境が変われば付き合いが無くなる相手」なのかもしれません。無理して行くことも、気に病む必要もないでしょう。