子どもから大人まで大人気の『鬼滅の刃』。映画は興行収入300億円を超えるなど、話題を耳にしない日はありません。一方で、鬼の首を切るだけではない残酷なシーンも容赦なく描かれている本作、「子どもに見せていいのか」と悩む親御さんもいるでしょう。
当初アニメは深夜帯に放送され、映画もPG12区分(12歳未満は保護者の助言・指導が必要)ですから、0~6歳の未就学児に積極的に見せているという家庭は多くないでしょう。そんな中、先日3歳の子どもが保育園で「鬼滅」を見せられて夜泣きしていると憤るツイートがありました。ツイートには多くのリプライがつき「保育園には苦情を言うべき」など、園の配慮のなさに怒りの声が相次いでいます。(文:篠原みつき)
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「保護者と適切に語り合えればよい」でいいのか
話題になったツイートは、保護者がフォローできない預け先で、適切な視聴年齢ではない子どもに「勝手に見せた」ことが問題視されています。アニメはアマゾンプライムでも視聴年齢制限「16+」がかかっている(実際に見せないようにするには設定が必要)くらいなので、人気作だからといって3歳前後の幼児に考えなしに見せていいとは思えません。ネット上にはほかにも、親戚の子どもが園で見せられたと憤る声がありました。
筆者の子どもも、幼稚園のころ延長保育で「ゲゲゲの鬼太郎」を見せられてトラウマになったと言いますから、意外とありがちなことかもしれません。気づいた際には園に意見してもいいでしょう。
「『鬼滅』を子どもに見せていいのか」という問題は、すでに様々なメディアで取り上げられ、「保護者と適切に語り合えればよい」という説明がなされています。確かに、本作はジャンプ漫画の王道である「友情、努力、勝利」とともに家族愛や鬼に対する慈愛なども描き、全体としてみれば教育的ですらある物語です。「子どもだから」と見せないのも違うでしょう。
しかし、筆者は幼児から小学校高学年までの絵本の読み聞かせボランティアをしているため、やはり年齢に合った物語があると思います。本作の一番のターゲット層は小学校高学年から中高生です。漫画を自分一人で読んで物語全体を把握できるなら何歳でもいいかもしれませんが、わざわざ幼児を怯えされるものを見せる必要はないでしょう。
物語表現における「残酷さ」について
子ども向けの物語の「残酷さ」については、児童文学作家で研究者の瀬田貞二さんが、著書『幼い子の文学』(中公新書)の中で、こう言及しています。むごいと思われる場面も仮借なく描くアリソン・アトリーの「グレイラビットのおはなし」を肯定した上で、
「少しぐらい手を切ったって、カミソリや小刀の使い方を知った方がいい、そういう考え方に立ってもいいわけでしょう。残酷さというのは、残酷を心理的なものに転化して、その一寸刻み五分刻みのディティールをやたらに見せるというところから出てくるんじゃないかと思う」
「そうじゃなくて、それがギリギリ煮詰められて、物語の重要な劇的な契機になっている場合には、残酷さは残酷さということにならないで、一つの訴えかける力、物語を活力あらしめる要素になっていく」
筆者はこの解説が「鬼滅」にも当てはまるような気がします。「鬼滅」は残酷さを描いてはいますが、それは物語の中の不可欠な要素で、「一つの訴えかける力」になっています。
しかし、そうは言ってもアニメでの残酷さは強烈なので、幼児向けではないと筆者は思います。昔話やグリム童話も結構残酷なエピソードが出てきますが、それほどディティールが細かくないので幼児も喜んで聞けるのです。
ネット上には、小さいお子さんの間でごっこ遊びするほど流行っているが、実際には見せてもらっていない家庭が大半で、聞きかじりの情報で遊ぶ現象が起こっているという話題もあります。小さい子どもなりの楽しみ方があるようで、話題だからと見せる必要もないのかもしれません。