中年になって気づいたこと 「野菜がおいしい」「学力よりコミュ力の方が大事」「人生のピークは30歳」
誰の目から見ても「若い」とされる青い時代を経て、次のステージに立つ”中年”世代。辞書やネットで調べてみるほどに「一体何歳から何歳までが中年?」とわからなくなるが、感覚的には大体35歳を過ぎたあたりから60手前ぐらいの層の人が該当するのだろう。
中年になると心身ともに変化が出てくる。11月22日の「中居正広のミになる図書館」(テレビ朝日系)で語られていた”40代あるある”では、「野菜のおいしさがわかるようになった」(杉本彩)、「手が乾燥してスーパーの袋がめくれなくなった」(光浦靖子)、「人やモノの名前がスッと出てこない」(出演者ほぼ全員)などが出ていた。
先日の「2ちゃんねる」でも「お前らが中年になって理解したこと」というスレッドが立つと、書き込みには「これぞ初期老化現象!」と思しきものが目立っていた。(文:みゆくらけん)
「35歳が肉体的社会的全てにおいてターニングポイント」
「抜けた毛は生えない」「手の甲がシワシワ」「腹が出っぱって戻らなくなった」「最高の調味料は塩だ」など、身体の老化(や感覚)に関するものが多いが、自然現象で仕方ないとわかっていても、突然それらを痛切に実感すると、「おぉキタか!」→「マジか・・・」と老い行く自分を受け入れることにちょっぴり躊躇してしまうのだ。
内面の変化としては、人生の大事な何かに”気づいた”人が多い。
「学力よりコミュ力の方が大事」
コミュ力のあるなしで人生も変わってくる。大人になってからコミュ力を急激に高めるのはしんどい。いかに、それまでの人生で人と関わってきたかが肝になる。学校がただ勉学の場ではない、ということに気づきまくるのは後々なんだよなァ。
また、「憎しみは何も生み出さない」と悟った人も。何があったのかは知らないが、過去に苦労した残り香がほのかに漂う。しかしこれはいいこと!歳を重ねるほどに自分が教祖のマイ宗教が心の中に築かれてくるのは生きる指標が増えていい。
そして多かった”気づき”は「人間としてのピークは30歳辺り」というもの。「そこからは肉体も精神も衰えていく一方」と実感するのだとか。これは、ピークからだいぶ遠のいた場所から計らなければ見えてこない感覚だが、「大人とは演ずるもの。中身は子供と大差ない」と達観するあるオジサンはこうも書き込む。
「35歳が肉体的社会的全てにおいてターニングポイント。ここまでに内外で身を固めたほうが安全。以上61歳の所感」
説得力あるオジサンに「ありがとうパイセン」と感謝を書き込む声もあった。やはり、30代半ばで決まるのか。確かに35歳までに結婚しないと一生独身になる可能性がかなり高くなるというデータや、35歳までの仕事成績で出世できるか決まるとはよく聞くハナシ。若い世代は35歳まで必死にガンバレ!
中年女性が「美魔女」か「オバハン」しかないのはどうなの?
なお、書き込みの中には
「仕事でも趣味でも、若いころと比べると頭が働くから効率よく結果出て楽しい」
「40過ぎても20代の女から意外と恋愛対象に見られる」
といった中年エンジョイな声もあることも記しておきたい。
ちなみに、35歳女性筆者の「中年になって理解したこと」は、バカみたいだが「日光に当たるとほんまにシミになる」ということ。シミってのは5年後とかに急に出てきやがる!「多分大丈夫っしょ」とかぬかしてたあの頃の自分を殴りたい。
他に、あんなに好きだった女子の象徴”ヒールの高い靴”がこんなに疲れるものだったと理解したのは最近だ。それから購入した靴は2足ともスニーカーだ。
つまり、どんどんオシャレや色気から遠のいて”楽さ”が重要になってくる。なのに、世間では35歳以上の中年女性をごく一部の美しい「美魔女」か「オバハン」の2つにしかカテゴライズしない(むろん、「美魔女」という言葉は揶揄で使われることも多いけど)。どっちかしかないの?鈴木砂羽あたりがその中間のポジション作って世の中に確立させてほしい。