――血液型診断をいまだに信じている企業があるというのは信じがたいのですが、いつ頃の出来事ですか?
「10年前くらいです。正社員の募集に応募して書類審査を通過して面接になりました」
――当然ですが、面接はその会社の担当者がやっているんですよね?
「そのショップの店長さんと、本社の担当者3人でした」
――正直、世間では一流扱いされているお店だと思うのですが、血液型診断で合否を決めているのは驚きです。
「私も、占いや血液型など非科学的なものは一切信じていないので、いい歳をした大人たちが何をいっているのだろうと、不気味に思いました」
――話も弾んでいたのに、まさか血液型を理由に落とされるなんて予想外だと思いますが、その時の気分を覚えていますか?
「ほぼ、受かるかなという手応えを感じた後に血液型の話をされて『調和が乱されるので申し訳ないですが……』と、いきなり、その場で不採用を告げられました。腹が立つよりは、不気味な人たちだという思いのほうが強くて、反論せずに早く帰りたいと思いました。それだったら書類選考の時に電話で血液型を聞いてくれればよかったんじゃないでしょうか」
――まさに、時間の無駄でしたね。
「それが、交通費として3000円くれたんです。近所だったのに、交通費はほとんどかかっていないのに。口止め料の代わりかなと勘ぐってしまいました」
――その後、そのショップを利用することはありますか?
「ありません。今もデパートに出店していますけど、前を通るのも嫌なので、それ以来二度と行っていません」
ところで、この「血液型診断」、もともとの源流に「差別」があったのはご存じだろうか。『読売新聞』は、聖徳大心理学科講師の山岡重行さんの話をこう紹介している。
血液型性格判断の源流は、20世紀初頭にドイツの研究者がヒトと動物の血液型を調べて提唱した説に遡る。その内容は「東洋人は白人よりもB型が多い。チンパンジー以外の動物にはB型が多い。東洋人は白人よりも動物に近い」という人種差別を主張するものだった。欧米では定着しなかったが、戦前の日本では、血液型で個人の性格や外国人と日本人の気質の違いをつかもうとする研究が進められた。(『読売新聞』2015年5月21日付夕刊)
ようは、最初からトンデモ論だったのだ。
この読売新聞記事では山岡さんの「身体的特徴である血液型で他人と比較することは差別につながる。起源には人種差別があることを思い起こしてほしい」というコメントも紹介している。近年、血液型で勝手に性格や相性を決めつける行為は「血液型ハラスメント」と呼ばれてしまうこともある。こうなると血液型の話題はもはや「気軽に使える会話のきっかけ」では、なくなっているのかもしれない。