「企業等が、『ある人物の知的能力あるいは行動能力』を計る上で、『これが絶対に正しい』という基準はない。であるゆえに、確率論的にそれまでの長い過程で目に見えて判然とする成果として、『学歴』を基準にせざるを得ないことは、至って自然なことと思量される」
と語る男性。また、「『学歴』というとある種、一面的かつ一時的な響きを伴う」として、その意味をこう説いている。
「少なくともそれ(学歴)を獲得するまでの間、数多の課題解決や苦手克服、また継続力や向上力等のセルフコントロール術を要するわけで、その点をクリアしての『学歴』という見方をすれば、将来的に能力を発揮する見込みは高くなるでしょう」
その結果、学歴と成果の関係をこう綴った。
「教育現場では、学力が高い者ほど何か事を始めるに際してスタートが早く、仕上がる質も高く、また気づきがあった際の修正力も高くなる傾向がある。学歴が無くとも、これらの能力を持ち合わせた人物も数多いるはず。ただし、確率的には下がってしまうでしょう」
また例え話として、「何を話すにつけ、『それな、それな』を連呼する人物」の話を挙げ、
「(その話し方が)友達関係とは異なる社会環境の中で、通用するのかどうか。ボキャブラリーの質や量が、ほぼ学力に比例することを勘案しただけでも、就職等の場面で学歴の高い者が、歓迎されやすいのは致し方ないようにも思える」
と現実を冷静に指摘した。