男性の勤務先は「インフラ系として国内有数の規模」の企業だ。倒産の心配をすることもない、余裕たっぷりの安定企業のため、左遷部署といってもビルの一室などではなかった。「土地と立派な建物からなる一事業所」に100人ほどの社員が出勤していたという。
しかし「予定もタスクもない」という中で、どんな風に過ごしていたのだろうか。
「とりあえず出社してメールを開け『今日もやることなし。業務終了』といった日が大半でした。周囲がどう過ごしていたかは記憶にありません。なかには一年を通して一日中個室にいて、本当に何をしているのかわからない人もいました」
社員同士で交流を深めたというわけでもなさそうだ。
「私自身は、とにかく時間を潰す、というか暇を感じないことに全能力を注ぎ込んでいました。例えば全社員の公開スケジューラを手当たり次第に見て、この人はこの人達とこんな仕事をしているのか……と見ていくなどですね。そうすればパソコンの前で作業しているように見えたのではないでしょうか。今でいうところのエクセルを開けたり閉じたりする人ですね」
また「当時はスマホがありませんでした。これがあればまた異なる過ごし方となったことでしょう」とも付け加えた。
異動になった当初はショックだったというが、似たような社員が転入してくるにつれ、「ここは左遷用部署なのだ」という思いが強くなったそう。
「仕事ぶりが悪いとか、健康上の理由や前の部署でトラブルがあったり、会社の大事な業務にはタッチさせたくない、なおかつ将来的に昇進させる見込みもない人員が異動してきていました。課長級から係長級への降格など、なかなかない降格者もいましたね」
クビにはできないが昇進もさせない社員の、受け皿となっていたようだ。
「あるときは、年一回の昇進試験の案内が届かないなんてこともありました。その時は、上司から『○○君、今度の試験の通知がウチには漏れてたらしくって。人事に文句言っておいたよ』と申し訳なさそうに言われましたが、そうでしょうね~と心の底から感じたものです」
「ひたすら廃段ボールを折りたたんで…」という日々でも転職者はゼロ
仕事がない上に雑な扱いを受けていたのだから、転職は考えなかったのだろうか。これに男性は、「考えませんでした」とキッパリ。しかも、周囲で転職する者は一人もいなかったという。
「もともと離職者の少ない会社でもあり、左遷部署で何をしようがしまいが十分な年収が得られるからです。左遷されたことが要因で生活に行き詰まる人は他にもいなかったかと思います。左遷によるつまらなさ、暇と、それに伴うストレスに耐える対価として給与が出ていたほどにも感じます」
「本当にやることが無い日には、ひたすら廃段ボールを折りたたんで集積所までもっていくなどをしていましたが、そんな時期でもその辺のサラリーマン以上の収入はあったはずです。歳の近い左遷者も10人くらいは思い浮かびますが、転職していったのは皆無、そんな会社です」
こう驚きの内情を語った。確かに、働かなくても高収入ならこの待遇を手放すのは惜しい。そうして転職などせず過ごした結果、男性はこの部署から抜け出す機会を得る。
「その後、もといた職場に戻る形で異動し、同期から8年程遅れて係長職になり今に至ります。当時私と同レベルの左遷人員が発生したので、その人と交代する形になりました。それがなければ、ずっと左遷部署に居続けたのかもしれません」
昇進は遅れたものの、その後は「仕事にも上司にも恵まれました」というから、やはり辞めずにいて正解だった。その左遷用部署について男性は、「会社の業績向上や課題解決に寄与することは一切ないと思われる、そんな位置付け」だと評するが、一方で
「それでも社員を解雇しない、出向もさせないしさせられない理由は、ある意味“社内の福祉的な職場”だからでは、と当時から思っていました。今でもその部署は会社の組織改編の機会も乗り越えながら、少なくとも20年は存続しており、社員雇用において重要な役割を担い続けています」
と会社にとっては大事な存在でもあることも教えてくれた。
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