「就活って気持ち悪くない?自己PRとか作り話大会とか」問いかけに賛否「スキルのない自分にはありがたい」「異常だわな」
世の中には、気持ちの悪いものが多い。景勝地を踏み荒らしてもインスタ映えを優先してスマホをパシャパシャする流行。障害者にダンスをさせ、感動を呼びたがるチャリティー風バラエティ番組。それから、社会人としてデビューするための登竜門、就活で求められるものも、だいぶ気持ちが悪い。(文:松本ミゾレ)
「新卒採用がキモいのはよくわかるが、かといってそれ辞めるともっと面倒」
先日5ちゃんねるに、「日本の就活って気持ち悪くね?」というスレッドが立った。スレ主は今の就活について、
「志望動機や自己PRでおじさん泣かせの作り話大会とか、説明会の質問タイムにいちいち『本日は貴重なお話ありがとうございました』って枕詞につけたりとか、寒気がする」
と一蹴している。
実にその通りだ。あんなに誰もが「馬鹿らしい。めんどくせえ」と思っていながら並べる美麗な言葉の応酬はない。「キチョハナカンシャ」だってそうだ。「何が貴重だ」って話である。なんとなく、発言の頭に付けるのがマナーとされているから付けている人だっているだろう。本当に「貴重な話だった」「ためになる話だった」と思っている人はどのくらいいるだろうか。
さて、スレッドには僕のように、今の就活のシステムに気持ち悪さを感じる人の意見もあれば、受け入れている人の声もある。どちらも見るべきところが多い書き込みばかりなので、いくつか引用して紹介してみたい。
「今年就活だったけど今の制度は何のスキルも無い大学生にとってはありがたさしか無いわ」
「社畜品評会だからな。中身よりマニュアル通りできるかどうかの原点方式で採点し、あげくに忠誠心を求める」
「ただ生きてたいから金が欲しいだけですなんて奴を誰が採用したいと思うの?」
「新卒採用がキモいのはとてもとてもよくわかるが、かといってそれ辞めるともっと面倒」
「まあ異常だわな」
やっぱりこればかりは立場によって見方は変わるものだと感じる。面接に失敗してしまえば「今の就活はおかしい」と思うだろうし、上手く行けば「これで良かった」と感じるだろうとは思う。
面接で好印象でも、バリバリ働いてくれるとは限らない
でも、この就活のシステムで、これから従事しようとする仕事への適正を見極められるのかは疑問だ。面接では緊張していた若者が、実務ではすんなり馴染む事例だってきっとある。逆に口だけで入社した者が期待外れということもあるだろう。
現状の就活の面接って、あくまで「こいつはもう完全にアウト」と断定できる者は蹴落とせても、それ以上の精度は高くないんじゃなかろうか。だっていっぱい見てきたよ? 全く仕事が出来ないのに何故か入社できている、人事部へのヘイトの呼び水になっちゃった新社会人。
こういう話をすると決まって「社会人としては世間の目を悪い意味で引かない態度も重要」と釘を刺したがる者が必ず出る。だけど、就活の面接って問答を予測し対策すれば、ある程度の粗は隠すことが出来る。その場しのぎが可能なわけで、それで選別するのって会社にとって望ましいんだろうか。金太郎飴みたいな入社希望者を集めて、さも「精査します」みたいな顔で面接をする人たちも含め、あまりに滑稽だ。
経済成長率著しい国々は、果たしてこの日本式の、決意表明じみた面接のやり取りを見て、「素晴らしい」「真似したい」と思うだろうか。