「39話以降意味が分からなく…」 ガンダム初心者が初代『ガンダム』について行けず困惑する背景
先日、2ちゃんねるに「ワイガンダム初心者 ファーストガンダムを見終わる」というスレッドが立っていた。いまでも人を惹きつけるのだから、ガンダムってコンテンツは強い。
このスレ主の書き込みがちょっと面白いというか「あ~なんか俺も最初はそういう気持ちになったかも」と感じられる部分があったので、紹介したい。
スレ主は「38話まで戦況や勢力図まで理解してたのに、39話以降意味が分からなくなった」「結局ニュータイプってなんや…」などと書き込んでいる。
38話のサブタイトルは「再会、シャアとセイラ」。ここまでは彼も話にしっかりついていってたわけだが、続く「ニュータイプ、シャリア・ブル」からの展開に急さを感じているのだ。
ここからの展開を1文で説明すると、ナイスミドルな木星帰りシャリアの駆るブラウ・ブロとの戦いが1話で完結し、40話から41話にかけてララァとの戦いと死別が描かれ、42、43話は実質最終回の前後編だ。
あらためて思うけど、色々と濃密なドラマが矢継ぎ早に演出されるので、「ちょ、ちょっと待って!」て思っても仕方がない。
打ち切り事情を知らなかった子ども時代の僕も、初めてVHSで終盤を観ていたとき「なんか妙にサクサク進むぞ」って思った。シャリア・ブルも、もっと活躍すると思ったのにあっさり勝負が付いて肩透かしに感じた。
スレ主がとりわけ困惑していたのは、ララァとアムロの精神感応シーンだったみたいだ。「ララァが出てくるまでは理解してた」「終盤以外は常にワクワクしてたのに困惑に変わってもうた」とも書き込んでいる。
そうそう。初見だとたしかに、ララァとアムロが会話するシーンのキラキラ綺麗なエフェクトマシマシとか波ザッブ~ンは「今何が起きてる!?」ってなっちゃうよね。ララァのワンピースの丈めっちゃ伸びるし。
馴れれば「これがニュータイプ同士の感応現象みたいなものなのかな」って自分なりに理解しようとする力が働くけども。
でも、スピリチュアル味の強い演出だから、綺麗だけども「今どういう状況なんだ」ってなるのは仕方ない。わかりやすい説明セリフがあるわけでもないし、それまでの戦闘ではこんなのなかったから、初見はどうしても面食らうよね(笑)。
初代ガンダム終盤には、ほかにも難しいシーンが
ニュータイプ関連の演出についてはまあ、そのうち理解出来るもんだろうと思って子供の頃の僕はあんまり深く考えずスルーしていた。かと言って今ちゃんと理解出来ているかと問われれば、100%演出の意図を読み取れている自信はないけど。
ただ、「ここもうちょっと深堀りしてほしかったなぁ」と後々になって思うことは多い。前述のシャリア・ブルがギレンとキシリアの間でどう立ち回るか、結構楽しみだったし。
あとア・バオア・クーでの最終決戦もNフィールドとかSフィールドとかいわれても、最初は「何それ分かんない」状態だったし、空母ドロスみたいなめちゃくちゃインパクトある戦艦があるのに、その存在についても割とスルーされていたし。
なんかこう「え、何だそのでっけえ戦艦! これがラスボスか?」って思ったらいつの間にか沈んでるという。この辺りも、もうちょい話数に余裕があれば描写が足されてたのかなぁ。
でもまあ、本来の予定より9話も少ない話数で完結させなければならないわけだったので、そう考えるとかなり綺麗にまとまってはいるんだよね。
それによく考えたら「43話」って結構な積み重ねではある。ホワイトベースが最後の最後で沈むシーンなんて、息を呑むほかなかった。終わり方もちゃんと綺麗で、話に破綻はなかった。だから、今になっても、『機動戦士ガンダム』を見たいなって思う人が出てくるんだろうね。