少年漫画に少年の気持ちで向き合えるオトナは、間違いなく天才!
こんな話を思い出したのは、先日おーぷん2ちゃんねるに「大人になって少年漫画読めるやつって凄いよな」というスレッドが立っていたからだ。スレ主は「もう読もうと思っても全く頭に入ってこない」と書き込んでいる。つまり僕と同じつまらない大人というわけだ。
子供の頃って好奇心も旺盛だし、僕はマンガを通して文脈を読み進める力を得たり、考察力や読解力も手に入れたと思う。描かれている絵を見て、まるでアニメーションのように情景が動いて見えるぐらい集中、没頭して読むことだってできた。そういう才能が、子供の頃にはみんなに備わっているものだと思う。
ところが、大人になると集中力がそこまで持たなくなっていった。記憶力も低下するものだから登場人物の顔を忘れるようになり、名前も一発で覚えられなくなった。そうなっちゃうと情報を追いかけるだけで精一杯。
『進撃の巨人』は大人にもウケているが、マーレやエルディアについては、絶対に理解しておかなくてはならない情報なのになかなか頭に入ってこない。しっかり把握するには、まるで歴史の教科書を読むぐらいの熱量を強いられた。子供の頃は、もうちょっとすんなり理解できたはずなんだけどなぁ……。
このスレッドを立てた人物もまさにそういうタイプなんだろう。「『進撃』もちょっときつかった」とも書き込んでいる。やっぱり大人になると、登場人物や歴史背景、伏線が多い作品は、追いかけるだけで手いっぱいになるのだろう。
今、『タコピーの原罪』が大人にウケているのは、短編で登場人物の数が少ないのも、要因の一つにある気がする。素人考えだけど。
少年漫画の熱量と情報量について行けなくなった大人は、シンプルなものを求めるのかもしれない。だいぶ、エグいけどね。
そういえば、最近よくある人気少年漫画のスピンオフ、たとえば『金田一少年の事件簿外伝 犯人たちの事件簿』や『1日外出録ハンチョウ』なども、大半は毎回のエピソードが短い。ああいうのも、大人の嗜好に併せた味に寄せてってるんじゃないかなぁ。
引け目を感じる必要はない
1つのことをずっと続けるのは難しい。仕事もそうだけど、趣味もそう。そこへ行くと、大人になっても『ジャンプ』や『マガジン』を購入し続けている人って、少年漫画への熱量、愛情をずっと維持し続けられているんだから、凄い才能の持ち主なのかもしれない。
世間はともすれば「未だに少年漫画読んでるよ、あの人……」みたいな感じでこういう人を蔑ろにするかもしれない。だけど何か1つのことをずっと楽しめる力を持ち続けている人の凄さを、そういう連中は分かっていないのだ。
もしアラサー、アラフォーになっても少年漫画を読んでいて、それに引け目を感じている人がいたら、僕は彼らにこう伝えたい。一つのことに熱中し続ける才能は、世間からは評価されにくいけど、物凄く尊いものだよ、と。