スタバやタリーズで人気のコーヒー「エスプレッソ」 日本で飲まれるようになったのはいつごろから? | キャリコネニュース
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スタバやタリーズで人気のコーヒー「エスプレッソ」 日本で飲まれるようになったのはいつごろから?

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「エスプレッソ」は、スタバやタリーズなどのシアトル系カフェに欠かせない存在だが、元は言わずとしれたイタリアのもので、日本でもかなり前から愛好されていたようだ。今回は日本でエスプレッソが流行ったきっかけを調べてみた。(文:昼間たかし)

イタリアを体現する男・石田純一

日本でエスプレッソが人気となった背景には、「イタリアブーム」がある。1980年代、経済的に豊かになった日本人の関心は消費へと向かった。その中で数々の世界的ブランドを有するイタリアは「おしゃれ、洗練、高級」といったイメージで空前のブームとなった。イタリア製スーツを着こなす石田純一は当時、まだ不倫で有名なオッサンではなく、若い男子が憧れる存在だった。そのへんの若者が「アルマーニ」とか、その手の超高級ブランドに憧れたりしていた時代である。

イタリアン・テイストの具体的イメージとしては三十四歳のタレント石田純一があげられる。彼が着るイタリアのスーツは、彼自身によく似合っている。三十四歳という実際の年齢よりも若く見えるのも、彼の精神と彼の着ているイタリアもののスーツが、見事に一致しているからだろう。(『DAYS JPAN』1989年10月号)

この1ツイートにも満たない文章に「彼」が4回、「三十四歳」が2回も出てくるのは、おそらく偶然ではない。「イタリアのスーツ」やそれを着こなす「石田純一」は当時、ライターがそんな回りくどい表現をして、編集者がそれを通してしまうぐらい、人の心を惑わす存在だったのだろう。

デュラムセモリナが崇拝される

さて、80年代の「イタリアブーム」で、もっとも普及したのがイタリア料理だった。1980年代の日本では、今では信じられないくらいイタリア料理の知識も貧弱だった。たとえば「デュラム小麦のセモリナ」。今ではパスタといえば、スーパーで手に入る国内メーカー品も含めほぼデュラム小麦のセモリナ(粗挽き粉)で作られているのだが、当時はこれが一流ブランドの秘密のようにもったいぶって語られていた。

スパゲッティはなぜディチェコなのか。
粘りというか腰というか違うんですよね。
その腰の強さと粘りをだしてくれるのがデュラム小麦のセモリナ。イタリアでは、この材料100%で作ることが義務づけられているくらいなのです。
『anan』1986年3月14日号

そんな時代のオシャレ雑誌『BRUTUS』1989年9月1日号掲載の記事「イタリア料理から何を学ぶか。」は、現代視点ではギャグに近い。要約して箇条書きにすると、こんな感じだ。

・イタリア人は三つ星レストランにもラコステのポロシャツで入る
・イタリア人はライスをフォークの背に乗せて食べない
・「太陽が大地に与えた自然の恵み」を使うので添加物は使わない
・エレガントなパスタの食べ方。これは鍛錬しかない

このように幻想まみれでありつつも、イタ飯は日本人の舌にマッチしたのか次第に勢力を広げていった。2000年を迎えた頃には、イタリア料理店の目印である三色旗はどこでも当たり前に見るものになっている。

イタリア三色旗とは、この場合“マルゲリータ・ピザ”と“モッツァレラチーズとトマトのサラダ”程度のメニューを揃えたレベルのイタリア料理店を指します。この20年の間に、わが美しき東京の国土がめまぐるしい勢いで三色旗に侵略されていった様子がわかります。港区あたりを核とした病巣は、はじめ西部に広がって、三色旗に侵されにくいとされていた東や北方向にまで点々と転移し、もはや手のつけられない状態、といっていいでしょう。(泉麻人『新・東京23区物語』2001年)

エスプレッソコーヒー=苦い

前置きが長くなったが、このイタ飯ブームに乗ってさっそうと登場したのがエスプレッソコーヒーだった。

街場のカフェ・喫茶店にエスプレッソが登場し始めたのが正確にいつからかはわからないが、1987年時点ではUCCのアンテナショップ「プラザ八重洲」がエスプレッソを180円で、サントリーとUCCの協同出資のチェーン「プロント」が200円で提供していたようだ。

「エスプレッソ人気」はじわじわと広がっていった。1988年1月に味の素が缶コーヒー「TRAD エスプレッソ」を発売したのも、ひとつの契機になったようだ。1988年のこの記事を読むと、当時エスプレッソコーヒーがまだ有名でなかったことがよくわかる。

エスプレッソは長時間ばいせんした豆を素早く抽出したもので、濃厚でほろ苦い味がする。
『読売新聞』1988年1月3日付朝刊

味の素は翌89年1月、エスプレッソのインスタントコーヒー「AGF プライムコレクション エスプレッソ」を発売した(『読売新聞』1989年1月14日付朝刊)。もともとはコーヒー通向けの商品という扱いだったようだが、人気が出たので翌90年にはテレビコマーシャルも流されたそうだ。

この頃には本格的なエスプレッソの需要も顕著になってきたようで『読売新聞』1990年4月29日付朝刊では「最近では、エスプレッソを扱う喫茶店が増えてきた」とブームが起きていることを紹介している。この記事によれば東急ハンズ池袋店では、家庭用エスプレッソメーカーが1カ月で100個前後売れたという。

そして、さらなる転機が1996年のスタバ伝来。それ以降、エスプレッソは現在のように、日本中のカフェ・レストランでおなじみの存在になっていったのである。ちなみにカフェではでかいマシンが使われているが、イタリアの家庭では「マキネッタ」と呼ばれる直火式エスプレッソメーカーで淹れたものが飲まれている。マキネッタは数千円で買えて趣もだいぶ違うので、気になった方はトライしてみてもいいかもしれない。

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