「マーケティングの仕事に就くかも」といったら、指導教官から「マーケティングは洗脳だ」と説教された話 | キャリコネニュース
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「マーケティングの仕事に就くかも」といったら、指導教官から「マーケティングは洗脳だ」と説教された話

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仕事は基本的にお金を稼ぐため(食べていくため)にするものだけど、自分の仕事が「社会のためにならない。悪だ!」と言われたら、平気な顔をしてはいられない。今回は大学時代、教員から「マーケティングなんて洗脳だ」「本当にそんな仕事がしたいのか?」と教員から問い詰められたというエピソードを、社会人2年目のライターHOKUさんに語ってもらった。

想定外の反応

卒論指導ゼミ。本題に入る前の軽い雑談で、指導教官のフランス人准教授から「君たちは卒業したら何やるの?」と聞かれた。

同期たちは「大学院に行きます」「建設系の会社に就職します」などと、軽快に答えていった。

私の答えは「まだ何やるかわからないんですけど、マーケティング関連になるかもって言われてます」だった。

「マーケティングってフランス語も『marketing』で合ってるのかな…」「というか、確定してないからなぁ…」などと、あれこれ考えながら答えたこともあって若干、歯切れが悪くなってしまった。それに先生のことが、そこそこ苦手だったことも影響したかもしれない。毎度、言われる言葉が厳しくて、時には泣いてしまう日もあったからだ。

それでも、先生からこんな反応をされるとは、さすがに想定外だった。

指導教官の表情が曇って……

それまでの同期たちの回答には「あぁ、そうなの!」と楽しそうに答えていた先生の顔が、「マーケティング」と聞いた瞬間に曇った。そして先生は、こんなふうに問いかけてきた。

「君、マーケティングっていうのは洗脳なんだよ。本当にそれをやりたいわけ?」

はっきりと糾弾する口調でそう言われて、私は驚いてしまった。「洗脳」って。そこまで言う?

驚きすぎてあまり覚えていないが、先生は続けて、マーケティングというアメリカで生まれた概念がいかに人々を蝕んでいるのか、そこに本来「ない」はずの欲望を作り出す、人間にとって不要な悪であるのかを早口で語り、

「それでも君は、マーケティングをやりたいわけ?」

と重ねて問い詰めてきたのだ。

とにかく反論しなければとか、じゃあマーケティングはやりませんとは言えないだろうとか、色々考えた結果、「それなら逆に悪の根源を見ることで、中から何か変えられないかな、と思います」などと返した気がする。

生活する手段としての「仕事」なんだけど……

「お前がやろうとしていることは『悪』だ」とストレートに言われ、私はショックを受けてしまった。誰かのためになるどころか、人に悪影響を与えるかもしれない、ということに。仕事は何でも良いけど悪いことはしたくない、という薄らとした潔癖さを持っていた私にとっては、余計にショックだった。

そもそも、自分自身「何が何でもマーケティングをしたい」と意気込んでいたわけでもない。有名IT企業から内定はもらえていたものの、そこでの仕事に対するイメージを具体的に、ハッキリと思い浮かべられていたわけでもなかった(そもそも配属先は決まってなかった)。

私はといえば、自分の人生を自分でコントロールするために、お金を稼ぎたいだけだった。もし、働かずに済むお金が手元にあったら、就職しなかったかもしれない。究極的には、仕事なんてお金を稼ぐための手段にすぎないでしょ? という気持ちもあった。

もしかすると先生は、そんな私の「浅さ」を見透かしていたのかもしれない。

本当に悪いのか?

でも、マーケティングの仕事を実際にやってみると、やはり先生の見方は一面的すぎたと感じる。

おそらく彼が言及していたのは、「消費者向けのマーケティング≒広告宣伝」のことだったのではないか。消費者向けのマーケティングは、基本的に「消費したい」という気持ちを無理やり喚起させるものだ。それは事実だと思う。「時間やお金の奪い合い」で勝つためには、そういうことも必要だからだ。

私たちは、欲望を刺激され続け、そして満たされない欲望を抱きながら死んでいく。そこにマーケティングは一役買っているだろう。

一方で、欲望それ自体は悪ではない。食べたい、知りたい、見たい、行きたい、所有したい……そういった欲求がなければ、技術や文化の発展もないだろう。

欲望を「外から与えられる」ことについては、賛否両論あるかもしれない。それでも、たとえば「お腹が空いたけど、食べたいものが思いつかない」という人に、「この商品がおいしいよ」と紹介するのが「悪い」とは言い切れないと思う。

消費者向けだけではなく、企業相手のマーケティングもある。対消費者と違って、対企業のマーケティングは相手もプロだから、「洗脳」という言葉のイメージからはずいぶん遠いものになる。相手の顔が見えない仕事、いかにも「ビジネス」な感じの案件ばかりをしていると、たまに「私は誰のために働いているんだろう…?」という気持ちになるが……。

もう一度、あの質問に答えられるなら

さて、就職して1年半が過ぎたいま、先生からもう一度あの質問をされたら、「マーケティングは『不要』でも『悪』でもないと思うけれど、『これを本当にやりたいのか?』と聞かれたらわからない」と答えることになりそうだ。そう、今でも「これこそが正しい人生の道だ」という確信は抱けていない。でも、そもそもキャリア、仕事、人生ってそんなものな気もする。

個人の目線では日々楽しいこともあって、誰かの役に立っているような気もして、でもふと立ち止まって考えたら「私の仕事って何のためになっているんだろう?」と思うときもある。そういった繰り返しを積み重ねていくと、自分のやっていることの「意味」を見出すことができるかもしれない。でも、意味を見いだせたとしても、それが自分の理想とずれていて、あらためて全く別の道を歩もうと考えるかもしれない。

結局、誰もが同意してくれる「正解」はない。まずは信じてみた道を、とにかく歩いてみるしかないのだ。

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